還暦前、写真家の「写して候・寄って候」 天皇御陵踏破の旅
第十八回 飛鳥時代 三〇代敏達天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみた
い。

写真取材 赤木 賢二
 
 

河内磯長中尾陵(敏達天皇陵)

敏達天皇陵

 
三〇代/敏 達(びだつ)天皇陵
和風諡号/渟中倉太珠敷天皇 ぬなくらのふとたましきのすめらみこと
在位年/西暦五七二~五八五
陵形/前方後円    
皇居/訳語田幸玉宮(奈良県桜井市) 百済大井宮(奈良県桜井市)

所在地 河内磯長中尾陵 大阪府南河内郡太子町大字太子
最寄駅 近鉄長野線「喜志」から、金剛バス「仏眼寺橋」下車。徒歩約五分。

 敏達天皇は廃仏派寄りだったらしい。崇仏派の蘇我馬子が、寺を建て仏を祭ると疫病が流行だした。それを利用した物部守屋が天皇に働きかけ、仏教禁止令を出させ仏像と仏殿を燃やさせた。その年、敏達天皇は575年8月疱瘡で崩御した。神が仏罰をこうむったのか・・・・。御陵は最寄り駅・近鉄長野線「喜志」から徒歩で約四五分と離れているので、金剛バスの利用がおススメ。歩かなかった分を御陵の周りにの古墳散策にあてるのがよい。
 

敏達天皇陵
拝所にはスロープ状の木立の参道を約一〇〇mほど歩く。木立が抜けてぽっかり空いた空間が拝所だ。
敏達天皇陵
御陵近くの道からは葛城山や二上山が見える、散策には気持ちがいい。谷の西側には大阪芸術大学もあり学食でランチもいいかいかも。


 
訳語田幸玉宮

訳語田幸玉宮
訳語田幸玉宮
訳語田幸玉宮
伝承地として奈良県桜井市の春日神社あたりと言われている。初め百済大井宮を営んでいたが、占いによりこの地に宮を移したとされている。近鉄大阪線・JR桜井線「桜井」より西へ徒歩約一二分。

 
百済大井宮

百済大井宮
百済大井宮の所在については、桜井市のほか、河内長野市、富田林市、北葛城郡広陵町など諸説ありなので、訳語田幸玉宮跡から徒歩約二五分、百済大井宮跡と伝承せれている「吉備池廃寺跡」の訪れた。ただの池で説明板を探すのにも大変だった。

 

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