五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
河内磯長中尾陵(敏達天皇陵)
三〇代/敏 達(びだつ)天皇陵
和風諡号/渟中倉太珠敷天皇 ぬなくらのふとたましきのすめらみこと
在位年/西暦五七二~五八五
陵形/前方後円
皇居/訳語田幸玉宮(奈良県桜井市) 百済大井宮(奈良県桜井市)
所在地 河内磯長中尾陵 大阪府南河内郡太子町大字太子
最寄駅 近鉄長野線「喜志」から、金剛バス「仏眼寺橋」下車。徒歩約五分。
敏達天皇は廃仏派寄りだったらしい。崇仏派の蘇我馬子が、寺を建て仏を祭ると疫病が流行だした。それを利用した物部守屋が天皇に働きかけ、仏教禁止令を出させ仏像と仏殿を燃やさせた。その年、敏達天皇は575年8月疱瘡で崩御した。神が仏罰をこうむったのか・・・・。御陵は最寄り駅・近鉄長野線「喜志」から徒歩で約四五分と離れているので、金剛バスの利用がおススメ。歩かなかった分を御陵の周りにの古墳散策にあてるのがよい。
訳語田幸玉宮
百済大井宮