第一四七回 聖徳太子(厩戸皇子)
丹後町間人周辺散策(京丹後市)<後編>
天皇陵・外伝編-06

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

母子像のすぐ近くの「間人漁港」

御 名 厩 戸 皇 子(うまやとおうじ)
諡 号 聖徳太子
生没年 敏達天皇三年(五七四年)~ 推古天皇三〇年(六二二年)
時 代 古墳時代後期~飛鳥時代
続 柄 三一代・用明天皇(父) 三三代・推古天皇(叔母)
御 名 穴 穂 部 間 人 皇 后(あなほべのはしひと)
生没年 生年不詳~ 推古天皇二九年(六二一年)
続 柄 三一代・用明天皇(配偶者) 二九代・欽明天皇(父)
墓 名 磯長墓(合葬墓)
陵 形 円墳

所在地 大阪府南河内郡太子町大字太子(叡福寺境内)
最寄駅 近鉄長野線「喜志」下車、四市町村コミバス(近鉄バス)にて「聖徳太子  
    御廟前」バス停下車、徒歩約三分。

弥生文化が広がった丹後町間人周辺、大陸からの窓口だったのだろう

 「丹後町間人」周辺の歴史は古く、日本海ルートで大陸からの弥生文化が渡来し最初の集落「竹野遺跡」ができたと考えられている。 古墳時代前期末あたり(四世紀後半から五世紀前半)からは大型の古墳が造営され、その規模は「前方後円墳」の全国ランクにすれば五位から六位に該当する巨大古墳である。丹後市の沿岸部に墳丘長 二〇一メートルの「網野銚子山古墳」は、丹後地方の三大前方後円墳の一つに数えられ国の指定史跡に指定されている。

間人の名のついた漁港は丹後地方で最大の漁港らしい。そして間人漁港で水揚げされたズワイガニの一部は「間人ガニ」というブランドで出荷されている! ここでも間人の名がついていた。これは不敬ではないな、なぜなら超一等品のブランドカニだから(笑)。

京丹後市立丹後古代の里資料館
間人漁港から車で約五分ほどで丹後古代の里資料館に到着。入館料は大人二九〇円と安い!

墳墓で発見されたガラス?で作られた頭飾りが展示されている。

上・太刀の柄が美しい、何の紋様かわからないが・・・。
下・銅鏡・・・、う~・・・分からない。あまりにも知識がなさすぎて(苦笑)。

パネルには大和王家との繋がりが示されていて、「豊受大神」すなわち伊勢の「外宮」との関係も書かれていた。「豊受大神」が丹後におられたとは知らなかった。

袖志の棚田
京丹後市立丹後古代の里資料館より約一二キロ、車で約一八分「袖志の棚田」に着く。もう既に観光気分、ちょうどいい季節に訪問したので写真家魂に火が灯った!!(笑)

袖志の棚田の近くにあったバス停の待合室。時刻表を見て悲しくなる、ほぼ秘境駅だ。そんな気持ちを心に収めこの旅は終わった。

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