第六九回 八四代 順徳天皇火葬塚

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

真野御陵(順徳天皇陵 ※明治22年5月まで)

順徳天皇火葬塚
今の名称は「順徳天皇御火葬塚」と呼ばれ宮内庁に管理されている。
また、現在の御陵は82代・後鳥羽天皇と同じ大原陵で、父の傍に安置されている。

八四代/順 徳(じゅんとく)天皇陵
諱/守成 もりなり 
在位年/西暦一二一〇~一二二一年
陵形/<未> 
皇居/平安京 

所在地 真野御陵 新潟県佐渡市真野457
最寄駅 なし

 父「82代・後鳥羽天皇(上皇)」の強い意向により、「83代・土御門天皇」の譲位を受けて践祚し、14歳で即位する。先帝の土御門天皇は上皇となったが権力は無く、後鳥羽上皇による院政が続く。

 父・後鳥羽上皇の鎌倉幕府討幕計画に参画し(父以上に倒幕に積極的だったと言われている)、その計画に備えるため、1221年に子の「懐成親王(仲恭天皇)」に譲位して上皇となった。だが、「承久の乱」を引き起こしたものの倒幕は失敗に終わり、「順徳上皇」は都から佐渡へ配流となった。

 佐渡島では22年在島の末に1242年、46歳で崩御。佐渡島で火葬され、その跡に松と桜を植えて目印としたのが「真野御陵(現・火葬塚)」※明治22年5月までは御陵とされていた。火葬の翌年には、京都に御遺骨を移し、父の後鳥羽天皇墓所のかたわらに安置された。この火葬塚は、御陵と同格扱いで宮内 庁に管理されている。また、この近くには「順徳上皇」を祀った「真野宮」がある。

 

佐渡島
はるばる来ました、佐渡島へ。御陵近くから「真野湾」を眺望(ドローン撮影)。 
真野観光センタ
真野観光センターの前を通れば、御陵(火葬塚)の参道が続く。
順徳天皇火葬塚
田畠の中にこんもりした森の中を進めば拝所に着く。
順徳天皇火葬塚
真野宮
御陵(火葬塚)から徒歩約25分ほどで「真野宮」がある。
順徳天皇御遺品と伝えられる短刀、硯、扇子などが社宝として保管されているらしい(見てないが・・苦笑)。

黒木御所跡(新潟県佐渡市泉甲440)

順徳院御配所跡
県道306号沿いにあるので直ぐに分かる、大きな石に「順徳院御配所跡」と彫られている。

順徳天皇佐渡石碑

恋ヶ浦
順徳天皇の佐渡到着地・恋ヶ浦(現在の佐渡市豊田)って載ってたので行って見た・・・観光気分で。
それにしても海がきれいだ、この海を「順徳上皇」はどのように感じたのだろうか・・・。
加茂湖展望の丘
周囲約17キロメートルにおよぶ加茂湖。完全に観光になった、加茂湖展望の丘からの眺望(笑)。
加茂湖展望の丘
田畠が美しかったのでドローンを飛ばした一枚。
薪能
佐渡は世阿弥が配流された島として知られているので、「薪能」を観たが途中途中に眠くなる。こういうのは向いていないのかな・・・。
佐渡金山
言わずと知れた「佐渡金山」だ。二の腕に黒い筋の入れ墨を描いて入山。
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