還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二

忍海角刺宮跡に建つ「角刺神社」
御 名 飯 豊 青 皇 女(いいとよあおのひめみこ)
生没年 生年不詳~ 清寧天皇五年
時 代 古墳時代
続 柄 一七代・履中天皇(祖父または父)また 市辺押磐皇子(父)
墓 名 埴口丘陵
陵 形 前方後円墳
所在地 奈良県葛城市北花内
最寄駅 近鉄御所線「近鉄新庄」下車、約六〇〇m、徒歩八分。
宮 跡 角刺神社・忍海角刺宮跡
所在地 奈良県葛城市忍海
最寄駅 近鉄御所線「忍海」下車、約三〇〇m、徒歩四分。
「角刺(つのさし)神社」は、「飯豊青皇女」が在位しない天皇の代わりに政を司った「忍海角刺宮跡」と伝わっている。その跡地に「角刺神社」が鎮座しており、祭神は「飯豊青命(いいとよのあおのみこと)」である。
鎮座する場所は、東に「三輪山」「山の辺の道」、西に「二上山」「金剛山」「葛城古道」があり古代の交通の要所だったことがうかがえる。また『日本書紀』には、「日本邊也(やまとべに)見ま欲しものは 忍海(おしぬみ)の この高城(たかき)名は 角刺の宮」と歌われており、そのことから大規模な建造物があった宮と推測せれている。
境内の東側に小さな池がある、「飯豊青皇女」が宮で朝政を執った時、池に自分の姿を映し、顔を洗ったという「鏡池」がある。日本の歴史において最初の女帝とも考えられる天皇の足跡が残る神社。

上・御陵から一駅なので歩くか? 悩んだ末に電車に乗った。近鉄御所線「忍海」駅付近。
下・西を向き歩けば金剛山系が見える。


葛城市歴史博物館を過ぎ、消防署、駐在所の角を右折したら、こんもりとした杜が見える、「角刺神社」に到着。


拝殿はこじんまりとした、町中によくある神社の拝殿という感じだ。拝殿横からニョキッと生え育った御神木が印象的だ。

これが「鏡池」、今は残念なことに水が濁り何も映らない。奈良時代には近くの「當麻寺」で暮らしていた「中将姫」が、蓮糸で曼陀羅を織るために探し求めて「鏡池」に辿り着いたと伝えられている。蓮も全く見当たらない・・・。


