天皇陵

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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五〇回 六四代 円融天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、兄である冷泉天皇の譲位により、11歳で64代円融天皇として即位した。幼かったため、太政大臣藤原実頼が摂政に。実頼が亡くなった後も、藤原氏の摂政が続いた。在位中、常に藤原氏の権力争いに巻き込まれていた天皇。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四九回 六三代 冷泉天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、在位期間がはずか約2年の冷泉天皇御陵へ。その所在地は京都市地下鉄・蹴上から歩いて「哲学の道」を目指す。平日なら観光客も少なく、ゆっくり歩ける。観光名所も多く、楽しい訪問となりました。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四八回 六二代 村上天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、摂関を置かず親政を行なったと言われていが、政治の実権は摂関家の藤原兄弟にあったとされている天皇の御陵を紹介。最寄駅は京福北野線・宇多野から、約1km・徒歩約15分です。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四七回 六一代 朱雀天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、わずか3歳にして立太子、8歳で61代天皇に即位した朱雀天皇陵に訪問。この冶世では、「平将門の乱」、「藤原純友の乱」があり、天災では「富士山の噴火」にも見舞われる苦難に満ちた時代を過ごした天皇。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四六回 六〇代 醍醐天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、60代醍醐天皇は父・宇多天皇の皇籍復帰に伴い、皇族に戻った。897年に即位し、その治世は34年も続いた。その御陵は、伏見区醍醐古道町とされているが、長らく醍醐寺の管理下にあったため、所在の確定ができない平安時代の陵である。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期>第四五回 五九代 宇多天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、宇多天皇は、58代光孝天皇の第七皇子ながら臣下に降り、その後、皇籍に戻って21歳で天皇に即位したという珍しい経歴を持っている。その後、31歳で譲位して太上天皇となる。また、33歳で出家し初めての法皇にもなった天皇。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<前期> 第四四回 五八代 光孝天皇陵 

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、55歳で即位した「光孝天皇」の御陵を紹介。この天皇は幼い頃より素行が良く、聡明で温和であったため人々から信頼されていたと伝えられています。在位期間は短く、わずか3年余りで病のため58歳で崩御された。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四三回 平安時代<前期> 五七代 陽成天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、生まれ生後三ヶ月で立太子、9歳で即位した陽成天皇の御陵を訪問。御陵は紅葉で有名な「真正極楽寺・総門(赤門)」近くにあります。対辺間18メートル、高さ2.4メートルの八角墳の御陵。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四二回 平安時代<前期> 五六代 清和天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、天皇陵の秘境中の秘境で難所ばかりの清和天皇陵(水尾山陵)を訪問。保津峡駅を下車、保津川を眺め駅から出発。とのかく保津川沿いに「水尾の集落」まで府道55号線を歩いた・・・。
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還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第四一回 平安時代<前期> 五五代 文徳天皇陵

天皇御陵踏破の旅。還暦にして、御陵と宮跡伝承地を巡っています。今回は、平安時代に絶大な力を持つ、藤原氏によって擁立された、最初の天皇「文徳天皇陵」に訪問。御陵は、中世以降に所在地不明となっていた、幕末に谷森善臣の比定に従い、現在宮内庁によって現在の陵墓が定められた。