還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五二回 六六代 一条天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

円融寺北陵(一条天皇陵)

六六代/一条(いちじょう)天皇陵
諱/懐仁 やすひと
在 位 年/西暦九八六~一〇一一
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地/紙屋川上陵 京都府京都市右京区龍安寺朱山  龍安寺内
最寄駅/京福電鉄北野線「龍安寺」から、約1,2km・徒歩約20分。

 65代花山天皇が内裏を抜け出して出家したため、7歳で即位した66代一条天皇。祖父で右大臣・藤原兼家が摂政となり政治を進めていたが、没後に藤原一族での後継者争いが表面化していく。

 藤原氏の摂政が続く中、天皇の苦悩が書かれた書置きが、崩御後に見つかった。「王が道理にかなう政治を試みると、邪悪な臣下が国を乱れさせる」と記されていたという。救いは平安時代で、一条天皇の治世が最も王朝文化が華やかだったと語り継がれていることだろう。

 御陵は父である64代円融天皇の火葬塚が残っている、京都府京都市右京区竜安寺朱山の龍安寺(円融寺)内に治定されている。

薄暗い山道のような参道をひたすら昇る、300m位登ったところに分岐があった。
それを無視して昇れば御陵が見えた、円丘塚はこの登りが堪えます・・・。
ただ、この見晴らしを見れば、いつも頑張って昇って良かったと思わされます・笑。

 
 
円融寺北陵(一条天皇陵)

 
一条院跡(京都市)

一条院は大内裏北東に隣接した邸宅、東西2町(なんと、現在の堀川通あたりまで)を占めていたらしい。
表示パネルは、南北朝時代の名和長年が討ち死にした公園の前にあった。神社にみえるけど・・・。

 
晴明神社(京都市)

言わずと知れた、安倍晴明を奉る神社です。
晴明が亡くなり、その遺業を賛え屋敷跡に神社を創建した、一条天皇なのです。
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