還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五五回 六九代 後朱雀天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

円乗寺陵(後朱雀天皇陵)

六九代/後朱雀(ごすざく)天皇陵
諱/敦良 あつなが
在位年/西暦一〇三六~一〇四五
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 円乗寺陵 京都府京都市右京区龍安寺朱山  龍安寺内
最寄駅 京福電鉄北野線「龍安寺」から、約1,2km・徒歩約13分。

 六八代後一條天皇の崩御後、皇太弟となった敦良親王。一〇三六年に即位した。 病により一〇四五年に、藤原摂関家の意に添い道長の孫にあたる第一皇子親仁(七〇代後冷泉天皇)に譲位し、太上天皇となる。その2日後に出家、同日崩御したと言われている。享年37歳。
 
 

龍安寺の門前、青もみじが目にしみる。少し濡れた石の階段が古刹感を演出している。
龍安寺の裏手に3代の御陵がある、向かって右端が後朱雀天皇陵だった。
次回のネタバレになるが、父親(後朱雀天皇)、長男(後冷泉天皇)、次男(後三条天皇)の順に並んでいる。

円乗寺陵(後朱雀天皇陵)

 
 
後朱雀天皇火葬塚(京都市)

龍安寺から「きぬかけの道」を歩いて約15分。左大文字山のふもとの住宅街、
一軒の家の軒先にある路地を通るのだが・・・「大丈夫か?」と思うような道だった。
民家と京都市立金閣小学校に挟まれた場所に火葬塚がある。
火葬塚は美しく整備されていた、ただ家の裏に天皇の火葬塚・・・(苦笑)。
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