五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
傍丘磐坏丘南陵(顕宗天皇陵)
密集した民家の間にある御陵、小さいので拝所がなければ天皇陵とは思わないだろう。
二三代/顕宗(けんぞう)天皇陵
和風諡号/弘計天皇 をけのすめらみこと
在位年/西暦四八五~四八七
陵形/前方後円
皇居/近飛鳥八釣宮(奈良県)
所在地 傍丘磐坏丘南陵 奈良県香芝市北今市
最寄駅 JR和歌山線「香芝」近鉄大阪線「下田」から徒歩約二〇分
この御陵へのアクセスは、JR和歌山線「香芝」より西へ直進で国道168号線を北に真っ直ぐ行くのがいい。
拝所は住宅街の中にあり、小さめの前方後円墳なのだが分かりにくい。
顕宗天皇については、幼いときに苦労した話や兄弟で天皇の地位を譲り合った美談が記紀や播磨国風土記に残されている。
傍丘磐坏丘南陵
近飛鳥八釣宮伝承地
近飛鳥八釣宮の伝承地といわれる、弘計皇子神社境内より。
集落の田畑からの近飛鳥八釣宮の伝承地。
近飛鳥八釣宮
二四代/仁 賢(にんけん)天皇陵
和風諡号/憶計天皇 おけのすめらみこと
在位年/西暦四八八~四九八
陵形/前方後円
皇居/石上広高宮(奈良県)
所在地 埴生坂本陵 大阪府藤井寺市青山3丁目
最寄駅 近鉄南大阪線「古市」から、徒歩約二五分
藤井寺市青山にある「仁賢天皇陵(ボケ山古墳)」。百舌鳥古市古墳エリアにあるのに、世界文化遺産登録リストには含まれていない。
全長一二二m、高さ一三mで、六世紀前半に築造されたとされる前方後円墳。古市古墳群の中では終盤に築造された古墳。
古市駅からは少し歩くが、白鳥通りより竹内街道を散策するもよい。
埴生坂本陵(仁賢天皇陵)
拝所の横が菜園なので見通しがよい、写ってはいないが、東側の稜線に目をやると二上山が見える。
埴生坂本陵
石上広高宮伝承地
石上広高宮伝承地には、JR桜井線「櫟本」から徒歩約二五分。
国道一六九号を渡れば一本道、田畑が広がり散策には丁度いいルート。
丘への上り坂に鳥居がある、石碑のある「姫丸」
来た道を振り返れば集落が見えた。奥には(西側)生駒山系が見える。
石上広高宮
二五代/武烈(ぶれつ)天皇陵
和風諡号/小泊瀬稚鷦鷯天皇 おはつせのわかさざきのすめらみこと
在位年/西暦四九八~五〇六
陵形/山形
皇居/泊瀬列城宮(奈良県)
所在地 傍丘磐坏丘北陵 奈良県香芝市今泉
最寄駅 JR和歌山線「志都美」から徒歩約七分
謎に満ちた武烈天皇陵の御陵、多くの研究者が古墳ではないといっている。アクセスはJR和歌山線「志都美」から約七分と近い、道中はあまり見る物はないので、御陵の南側の「志都美神社」を参拝するとよい。
傍丘磐坏丘北陵(武烈天皇陵)
確かに普通の岡に見えてしまう、少しドラマチックに逆行で一枚。
傍丘磐坏丘北陵
泊瀬列城宮伝承地(奈良県)
泊瀬列城宮伝承地は、近鉄大阪線「長谷寺」より徒歩約二四分の十二柱神社にある。
境内には、武烈天皇を奉る祠に「菊の御紋」が印象に残った。
泊瀬列城宮