五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
山科陵(天智天皇陵)
三八代/天智(てんぢ)天皇陵
和風諡号/天命開別天皇 あめみことひらかすわけのすめらみこと
在位年/西暦六六八~六七一
陵形/上円下方
皇居/近江大津宮(滋賀県大津市)
所在地 山科陵 京都府京都市山科区御陵上御廟野町
最寄駅 京阪京津線・京都市営地下鉄東西線「御陵」より、徒歩約一〇分
この御陵の被葬者は「天智天皇」で、ほぼ間違いのない古墳であると学術的に言われている。また「このような御陵は非常に珍しい」と、だが宮内庁が比定している限り「御陵は御陵」。
天智天皇の話は豊富で、藤原鎌足とはかって蘇我氏を滅亡させ、舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)の皇太子として「大化改新」立案に関わり、そして、百済を救うため朝鮮半島に援軍を送り、白村江の戦いで大敗。六六七年には近江(滋賀県)の大津に遷都などが語り継がれている。
近江大津宮(滋賀県大津市)