ソノひびヨリ 第十七話
沖縄県・本島 慰霊と聖地巡礼〈後編〉

平和の火
平和祈念公園・平和の広場にある「平和の火」

 翌日、空はうす曇り。本日は「慰霊の日」も近い、昨日とは逆の方向に南下して糸満にある「平和祈念公園」を目指した。なぜならば、この公園には前から訪れたいと思っていた『慰霊塔』があるからだ。

 那覇市内から車で約四〇分で「平和祈念公園」に到着。約四〇ヘクタールの広大な敷地内は「平和ゾーン」「霊域ゾーン」「平和式典ゾーン」「園路広場ゾーン」に分かれている。一番、観光客が訪れるのは、平和ゾーンにある沖縄戦終結五〇周年(一九九五年)に建てられた「平和の礎(いしじ)」、摩文仁の丘から海を望む「平和の広場」で、そこには「平和の火」が灯されている。そこから半放射状に延びる道を進めば、目的の慰霊碑に辿り着いた。

平和の火
「平和の火」は座間味村阿嘉島で火打ち石を使って採取された火と、
被爆地である広島市の「平和の灯」と長崎市の「誓いの火」の3つを合わせたものだ。
平和の火
「平和の灯」を真中にして、多くの犠牲者名が刻まれた石碑が並んでいる。

 どうしても慰霊に訪れたかったのは「島守之塔」と言う慰霊塔だ。この慰霊塔は戦時下の中、最後の県知事となり、沖縄に赴任し殉職された「島田叡知事」と「荒井警察部長」、県職員
四五三名を祀る慰霊塔。

 塔、建立には旧県庁の生存者三百数十人、県民を中心とした浄財・寄付により建立された。沖縄戦体験者には、色んな考えはあるだろうけど、島田叡の人望が慰霊塔を建たせたのだろう。

島守之塔
島守之塔
島守之塔
「島守之塔」、島田叡知事と荒井警察部長の名前が刻まれている。
塔の前の献花台には、最近供えられた花がある。

 「ここに行きたい」と思ったきっかけは、一冊の本だった。惜しくも、昨年お亡くなりになられたノンフィクション作家・田村洋三さんが書いた『沖縄の島守』。あえて、ここでは内容を書かず、ご興味のある方は読んで頂きたい、本は読まない方には、本年七月に島田叡知事を主材にした映画『島守の塔』公開予定です。是非、ご覧になって下さい。

 「島守之塔」で献花を終え、最後に「黎明之塔」より海を見つめ、先人たちへ「恒久平和」の祈りをあげた。

黎明之塔
「黎明之塔」から見える海。空はどんよりとしているが、心は晴れた。

 次に向かうのは「平和祈念公園」から車で約三〇分、知念半島の先にある沖縄本島最高位のパワースポット世界遺産「斎場御嶽」だ。

斎場御嶽

 琉球神話の神「アマミキヨ」によって創られたと言われている、聖域の斎場御嶽。

 琉球王朝時代には、最高神女の聞得大君(きこえおおきみ)の就任儀式や、国の吉凶を占う政も行われていた。現在も尚、神司やユタなどの信仰の聖域とされている所だ。

 ビジターセンターを抜けると、原始の森に入って行く。いくつかの拝所を通って行くと、あの有名な奇岩が目にはいる。六つある、最後の拝所「三庫理(サングーイ)」だ。二つの大きな岩が支え合い、三角形のトンネルになっている。この岩のトンネルを抜けると、海が広がる風景に出合える。その沖に浮かぶ島こそが「アマミキヨ」が天から降り立った神の島「久高島」なのだ。

三庫理
「三庫理(サングーイ)」の入口、ここをくぐって最後の拝所へと向かう。
三庫理
くぐり抜けて、逆から一枚。

 神の島「久高島」を目の前にしてこの旅を終えた。だが、この後、那覇で朝まで島酒を呑むことになった・・・。

三庫理
「三庫理(サングーイ)」から、神の島「久高島」を望む



世界遺産 斎場御嶽

入場料金 おとな 300円
営業時間 3~10月
     午前9時~午後6時(最終入場午後5時30分)
     11~2月)
     午前9時~午後5時30分(最終入場午後5時)
休息日  旧暦5月1日~3日、旧暦10月1日~3日を休息日
※旧暦設定のため毎年変動しますので、随時ホームページ等でご確認ください。

平和祈念公園

沖縄県営平和祈念公園
平和祈念公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵を南に望み、南東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地にあります。公園整備は琉球政府時代に着手、復帰後昭和47年から都市公園として本格的な整備を進めています。

世界遺産 斎場御嶽

南城市観光ガイド|南城市観光協会

 
 
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