ソノひびヨリ 第六話 『福岡県・筑豊『大切な人と里帰り』〈後編〉

筑豊富士

筑豊本線 飯塚駅近くの跨線橋より「筑豊富士」を望む
 

 次に向かうのは、筑豊一の繁華街・飯塚市街地だ。石炭発掘が盛んなころ、全国各地から多くの炭坑労働者が移住し、栄えた街。一時は過疎化に陥りそうになったが、交通インフラの整備で 大学誘致に成功し、平成の市町村合併で福岡県内で四番目の人口を誇る都市になった。ここにも来たら、必ず行く所がある。それは『千鳥屋本店』、オレの年代の人なら分かる「チロ~リアン~♬」のコマーシャルの本店。なぜここに行くかというと、ここにしか売っていない「チロ~リアン~♬」のフレーバーがあるからだ(今は通販で売っているだろう)。

 筑豊イメージの正反対の顔として、あまり知られていないが、メジャー菓子の創業地が多くある。それは江戸時代、長崎に西洋から輸入されていた砂糖を運んだ、長崎街道(シュガーロード)が通っていたから、お菓子づくりの文化が育まれてきた。余談になるが、オレの勝手に着けた『筑豊三大菓子』を紹介しておく、訪れたときには必ず買うように(笑)。

一つは先ほど紹介した『チロリアン』、二つ目は同じ飯塚市創業の『吉野堂・ひよ子饅頭』、最後に田川市創業の『松尾製菓・チロルチョコ』だ!(これは、全国どこでもコンビニで買えるな)どうだ、ビックリしたか! スゴいだろ、ザマ~ミロだ(だから、ガラが悪いと言われるのだ・反省)。

 話しを戻そう、『千鳥屋本店』から少し歩けば、筑豊の母なる川『遠賀川』と『穂波川』が合流する近くに、国の登録有形文化財の『嘉穂劇場』が建っている。この劇場は一九七九年から毎年九月に「全国座長大会」が開催され、レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間約四〇日の公演が行われていた。二〇〇〇年には、まさかの椎名林檎一夜限りのライブイベントも公演された、由緒正しき大衆演芸劇場なのだ(令和三年現在閉館中)。

 心暖まる思い出として、二〇〇三年の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、劇場も客席・舞台等、一階内部が使用不能になる被害を受けた。その時、故津川雅彦さんが仲間に呼びかけ、名立たる俳優や芸能人が駆け付けて頂いた「復旧チャリティイベント」。前夜祭として、水害に傷ついた市民の為、飯塚市本町商店街で「お練り」して励ましてくれた。本当にありがたい、筑豊の人々に取って復興の大きな励みになったに違いない。

 劇場を後にして、穂波川の河川敷に降りると『筑豊富士』が見える。富士(山)といっても、この山は人口的に出来た山で、地下から引き上げられた石炭のクズ(ボタ)でできている。本当の名称は『忠隈のボタ山』という。『筑豊富士』の愛称は、全国からここに移住した人達が、内地を思い名付けたのかもしれない。この一帯は盆地なので、飯塚市内なら何処からでも望むことができる。オレも好きな場所がある、『筑豊富士』を眺めながら河川敷を歩いて向かう。つつじや野花の香りに誘われて、穂波川の流れをさかのぼりいく。幼い頃の思いにふけ歩くにはちょうどいい距離だ、楽市橋を渡れば「もうすぐ」、筑豊本線の踏切に着いた。

 オレは、鞄からガラスの瓶を取り出し握りしめた。
「ほら、帰ってきたと 筑豊富士ば見えろ」
「ほんなごつ 良か ところちゃ なぁ たかし」 
 柔らかい筑豊弁が風に消えた。
 

千鳥屋本店

昔からかわらない「千鳥屋本店」
 

嘉穂劇場

国の登録有形文化財の「嘉穂劇場」
 

飯塚市本町商店街

今はシャッター商店街になってしまった「飯塚市本町商店街」
 

06fukuoka_japan11

穂波川の河川敷にある「白蓮歌碑」
 

筑豊富士

筑豊本線沿い楽市からの「筑豊富士」
 

三菱飯塚炭鉱 巻き上げ機台座

民家の間にポッンと残る産業遺産「三菱飯塚炭鉱・巻き上げ機台座」
 
 

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