還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五七回 七一代 後三條天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

円宗寺陵(後三條天皇陵)

七一代/後三條(ごさんじょう)天皇陵
諱/尊仁 たかひと
在位年/西暦一〇六八~一〇七二
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 円宗寺陵 京都府京都市右京区龍安寺朱山  龍安寺内
最寄駅 京福電鉄北野線「龍安寺」から、約1,2km・徒歩約13分。

 七一代・後三条天皇は一二歳で皇太弟として立太子した、先帝の崩御まで二〇年以上も太子の座にあり、その長きの間に政や学問を学び、後の天皇親政へと繋がっていった。
 即位後には、摂関家藤原氏に独占されていた要職に「大江匡房」や「源師房」らを登用するなどして、関白・藤原氏を抑えた。また「荘園整理令」の発布「延久宣旨枡」の制定などの新たな改革を進めた。
 後三条天皇の冶政は、天皇親政による朝廷に「大きな影響力」を持つようになった。
 
 

2 日が差しだしたので下手側より、三代天皇陵を一枚に納めた。
摂関家からの脱却! すごい天皇です。

 
 
平安神宮・天王塚(後三条天皇陵墓参考地)

もう一つの御陵がある「平安神宮」。なんと言っても宮内庁が管轄しているのだから。
ここは勝手に見ることはできない、平安神宮社に声を掛けて見せてもらった。
案内してくれた人が言うには「この塚の枯れ葉一枚も採ってはダメなんです」と(苦笑)。
また、平安神宮を造営する時にも、この塚を除けて造ったと言う。
余談だが、塚の上手側に並ぶ植樹(三つの真中)は歌舞伎役者の「市川海老蔵」が寄進したものらしい。
案内人が嬉しそうに話してくれた、善くも悪くも京都だなと思った。
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