還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
真野御陵(順徳天皇陵 ※明治22年5月まで)
八四代/順 徳(じゅんとく)天皇陵
諱/守成 もりなり
在位年/西暦一二一〇~一二二一年
陵形/<未>
皇居/平安京
所在地 真野御陵 新潟県佐渡市真野457
最寄駅 なし
父「82代・後鳥羽天皇(上皇)」の強い意向により、「83代・土御門天皇」の譲位を受けて践祚し、14歳で即位する。先帝の土御門天皇は上皇となったが権力は無く、後鳥羽上皇による院政が続く。
父・後鳥羽上皇の鎌倉幕府討幕計画に参画し(父以上に倒幕に積極的だったと言われている)、その計画に備えるため、1221年に子の「懐成親王(仲恭天皇)」に譲位して上皇となった。だが、「承久の乱」を引き起こしたものの倒幕は失敗に終わり、「順徳上皇」は都から佐渡へ配流となった。
佐渡島では22年在島の末に1242年、46歳で崩御。佐渡島で火葬され、その跡に松と桜を植えて目印としたのが「真野御陵(現・火葬塚)」※明治22年5月までは御陵とされていた。火葬の翌年には、京都に御遺骨を移し、父の後鳥羽天皇墓所のかたわらに安置された。この火葬塚は、御陵と同格扱いで宮内 庁に管理されている。また、この近くには「順徳上皇」を祀った「真野宮」がある。
黒木御所跡(新潟県佐渡市泉甲440)
順徳天皇佐渡石碑