第七三回 八八代 後嵯峨天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

嵯峨南陵(後嵯峨天皇陵)

後嵯峨天皇陵

八八代/後嵯峨(ごさが)天皇陵
諱/邦仁 くにひと
在位年/西暦一二四二~一二四六年
陵形/方形堂
皇居/平安京 

所在地 嵯峨南陵 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町  天竜寺内 
最寄駅 京福電車「嵐山」下車、約500m、徒歩約6分。

 88代・後嵯峨天皇は、「承久の乱」で自ら土佐に配流された83代・土御門天皇の子である。土御門天皇の配流後は、母方の大叔父「中院通方・土御門定通」の許で育つが、一門の没落で苦しい生活を送り、20歳を過ぎても元服すら出来なかった。

 先帝・四条天皇が突然崩御したため、皇位継承の問題が持ち上り、有力公卿や鎌倉幕府の思惑のため問題は難航した。最終的には「執権・北条泰時」と京にいる「六波羅探題・北条重時」の力により

後嵯峨天皇として即位した。この時代は公武がうまくいく、比較的に安定した時代だったと言われている。

 その御陵は、世界遺産になっている天龍寺境内にある、形式は檜皮葺、宝形造の法華堂。その御陵に並ぶように、生前にかわいがった「90代・亀山天皇」の御陵もある。
 
 

嵐山駅前のメイン通り
嵐山駅前のメイン通り、コロナ禍でなければ人でごった返しているが・・・、ご覧の有り様だ。
天龍寺境内
天龍寺境内、「八方睨みの雲龍図」の天井画がある法堂を通り過ぎて、右手に曲がり進めば御陵だ。
天龍寺境内
天龍寺境内にあるからか、仏教系の建造物に見えてしまう(笑)。
後嵯峨天皇陵
向かって右が後嵯峨天皇陵、左が90代・亀山天皇。ここも再訪が必要のようだ。

後嵯峨天皇火葬塚

後嵯峨天皇火葬塚
御陵から桂川を目指し歩く、川沿いには観光客のための茶店がある。この手前にトイレがあるので様をたすように(笑)。
その横の石段を昇っていく。
後嵯峨天皇火葬塚
展望台に続く遊歩道を、まだまだ昇ると火葬塚との分岐にでる(下写真)。
後嵯峨天皇火葬塚
後嵯峨天皇火葬塚
後嵯峨天皇火葬塚に到着、同じ敷地内に亀山天皇と後伏見天皇の塚がある。でも、ここから見ているには石塔らしいものが見えない。
後嵯峨天皇火葬塚
せっかくここまで来たのだから、もう少し昇って展望台まで来た。いい眺めだ、昇った甲斐があった。
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