第七六回 九一代 後宇多天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

蓮華峯寺陵(後宇多天皇陵)

後宇多天皇陵

九一代/後 宇 多(ごうだ)天皇陵
諱/世仁 よひと 
在位年/西暦一二七四~一二八七年
陵形/方形堂・五輪塔 
皇居/平安京 

所在地 蓮華峯寺陵 京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町 
最寄駅 JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車、約2,3km、徒歩約30分。

 91代・後宇多天皇は、90代・亀山天皇の第二皇子で「大覚寺統(南朝)」の天皇。中世期、日本最高の賢帝の一人といわれ、対立していた「持明院統(北朝)」の花園天皇からも『末代の英主』と称えられていた。しかし、晩年には仏道修行(真言宗)への傾倒が強く、政を疎かにしたとも言われている。また、あえて政から離れ、皇子の「後醍醐」に天皇としての威信と経験を積ませたともいわれている。

 御陵は、自ら再興した大覚寺殿(大覚寺)で崩御後、そこからほど近い蓮華峰寺の傍山に葬られている。形式は方形堂・石造五輪塔。
 
 

後宇多天皇陵
住宅街を抜けると広沢池が広がる、これを左折し真っ直ぐ進めば御陵だ。
田園と竹やぶに挟まれた道までくると、もう参道。
後宇多天皇陵
参道入口から100mほどで拝所に着いた。
後宇多天皇陵
木漏れ日を受けて厳かな御陵だ。
蓮華峯寺陵 飛地へ号・飛地ほ号・飛地に号
蓮華峯寺陵
蓮華峯寺陵には「飛地」があることを知ったので、時間のゆるす限り(体力もだが・苦笑)巡ることにした。
まずは、来た道にある「飛地へ号」に。
飛地ほ号
竹薮のなかにあった「飛地ほ号」、この2つは参道から近く分かりやすい。
飛地ほ号
「ほ号」から登り道だ・・・、京都市上下水局・長刀ポンプ所を目指し歩いた。
その裏ら辺りに「飛地に号」があった、この近くに「飛地は号」があるはずなのだけど・・・。
これ以上は無理だ、「いろは」は次にする(失笑)。
後宇多天皇髪塔 
後宇多天皇髪塔
御陵からバス停「広沢御所ノ内町」まで歩き、バスで「花園扇野町」まで行き徒歩10分。
後宇多天皇の髪塔(御影堂)だ。御所を寄進して「龍翔寺」を創建し、
後に大徳寺内へ移転してしまったが、髪塔だけは旧地に残されたようだ。細い路地裏にあった・・・。
桂昌院・後宇多天皇菩提所
桂昌院・後宇多天皇菩提所
東福寺境内の南西に塔頭・桂昌院がある。ここが仏道を修行した、後宇多天皇の菩提所になっている。
髪塔の最寄り駅のJR山陰本線「花園」から「京都」、奈良線に乗り継ぎ「東福寺」下車、桂昌院まで徒歩約10分。
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