還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
平安時代<後期>第五六回 七〇代 後冷泉天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

円教寺陵(後冷泉天皇陵)

七〇 代/後冷泉(ごれいぜい)天皇陵
諱/親仁 ちかひと
在位年/西暦一〇四五~一〇六八
陵形/円丘  
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮

所在地 円教寺陵 京都府京都市右京区龍安寺朱山 龍安寺内
最寄駅 京福電鉄北野線「龍安寺」から、約1,2km・徒歩約13分。

 六九代・後朱雀天皇の第一皇子、「藤原道長」の娘「藤原嬉子」を母に持つ七〇代・後冷泉天皇。
先帝に譲位された際の遺詔を守り、異母弟の「尊仁親王(七一代・後三条天皇)」を皇太弟とした。
 外戚としての権力を維持したい「藤原頼道」は娘の「寛子」を入内させたが、男子に恵まれず天皇は崩御により皇太弟である「尊仁親王」が即位した。
 宇多天皇以来一七〇年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇が誕生することになる、栄華を極めた藤原氏も没落兆しが漂い始めた。
 
 

父の「六九代・後朱雀天皇」と異母弟「七一代・後三条天皇」の陵に挟まれるように御陵がある、
藤原一門からの脱却するためにスクラムを組んでいるような御陵だ。
龍安寺の門前の「きぬかけの道」は美しい。京都古刹観光にはもってこいの道。

円教寺陵(後冷泉天皇陵)

 
  
後冷泉天皇火葬墓(京都市)

龍安寺から「きぬかけの道」を歩いき、金閣寺を左手に睨み(笑)進み、「西大路通り」から
道なりに「北大路通り」入り300m歩けば「千本北大路交差点」に後冷泉天皇火葬墓だ。
千本北大路交差点の北東角に突然あらわれる、まるで鎮守さまを祀っている祠のようだ。

後冷泉天皇火葬墓

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