第九七回 一一二代 霊元天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代  <前期> 一〇八~一一二代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

月輪陵(霊元天皇陵)

「月輪陵」と高野山「仙陵・霊元天皇歯塔」

一一二代/霊元(れいげん)天皇陵
諱/識仁 さとひと
在位年/西暦一六六三~一六八七年
陵形/九重塔
皇居/京都御所 

所在地 月輪陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町  泉涌寺内 
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。

月輪陵

 「112代・霊元天皇」は、中継ぎ要素が高かった「111代・後西天皇」の譲位を受け元服後・数え10歳で即位した。幼少期から聡明ゆえに父の「108代・後水尾天皇」に寵愛されたと言われている。教養も深く、そのため幕府は天皇を警戒し監視の目を強化した。その後、上皇となっても朝廷運営を親政で行うことが、関白と臣下たちの合議体制が基本という「近衛基熈」とたびたび衝突した。

 その生涯は、朝儀の再興に心血を注ぎ1732年・78歳で崩御する。その御陵は「泉涌寺」内、二十五陵五灰塚九墓もの天皇・皇族が眠る「月輪陵」にある。

高野山「仙陵・霊元天皇歯塔」

今回「霊元天皇」の足跡はいとも容易く見つかった~。高野山にある「仙陵」だ。
この橋「御廟橋」を渡れば撮影禁止の「奥の院」、左に曲がれば「仙陵」に到着する。

「仙陵」前には「天皇皇族髪歯爪塔地」の表示があった。

橋を渡って拝所へ向かう、木立の隙間からの木漏れ日が美しい。すでに西日だが・・・、ここは朝が撮影に良いはずだ(苦笑)。

拝所前には、宮内庁の表示板だ。この旅を長くしていて疑問に思っていることだが、この表示板の改修は何年に一度するのだろうか?

柵の隙間から失礼して「仙陵」を一枚。どれが「霊元天皇歯塔」か分からない・・・多分、真ん中の塔(円墳上宝篋印塔)が「霊元天皇歯塔」のはずだ・・・。

何せ、天皇が9人と皇族が15人も祀られているので・・・。

ここにきて思うのは、やはり高野山はいい場所だ。合掌。

 

南海高野線「極楽橋」下車、高野ケーブル「高野山」下車
南海りんかんバス「中の橋」下車、徒歩・約950m、約15分。

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