第一一一回 一二二代 明治天皇陵 <後編>

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
近現代 一二二~一二四代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

伏見桃山陵と明治神宮

一二二代/明治(めいじ)天皇陵
諱/睦仁 むつひと・祐宮(さちのみや) 
在位年/西暦一八六七~一九一二年
陵形/上円下方 
皇居/江戸城(東京城)

所在地 伏見桃山陵 京都府京都市伏見区桃山町古城山 
最寄駅 京阪本線「伏見桃山」下車、約2km、徒歩約30分。

明治神宮の大鳥居

明治神宮に参拝

 明治神宮は、明治天皇崩御後の1920年(大正9年)11月1日に創建され、祭神に「明治天皇」と「昭憲皇太后」をお祀りしている。約70万平方メートルもある「鎮守の杜」は、創建を願い全国から約10万本の献木が集まり、その苗木を植栽した人工林である。また、造営なども「全国青年団」の勤労奉仕により整備された。 

静かな杜を歩くこと約15分、「三の鳥居」の鳥居をくぐれば境内。「三の鳥居」の奥に重要文化財の「南神門」が見える。

上・国の重要文化財「南神門」

下・「東神門」から見た境内。

再度、「南神門」に戻り「外拝殿」を正面から撮影。境内の広さに驚いた、初詣では参拝者が日本一多いのも分かる気がした。

「外拝殿」の近くで撮影、もちろんここも国の重要文化財。どんよりした空の下、「菊の御紋」だけは輝いて見える。

「外拝殿」の手前の「夫婦楠」。まるで、仲睦まじい「明治天皇」と「昭憲皇太后」の様にも見えてしまう、これも不敬かな・・・。

明治神宮から外苑へ

 陵墓「伏見桃山陵」が、京都伏見桃山に造営されるため、東京にも「明治天皇」を記念する施設を残したいと言う思いで、明治神宮の「外苑」という形で公園として整備した。「外苑」の元は国有の「青山練兵場跡地」で、「明治天皇」の大喪儀に際して「葬場殿の儀」が行われ棺が安置された場所でもある。

 着工は1918年(大正7年)、「聖徳記念絵画館、葬場殿址記念物、憲法記念館(大日本帝国)、陸上競技場」の4施設が計画されていた。その後、スポーツの普及により「野球場、水泳場、相撲場」が追加で設けられることになった。

「葬場殿址」

1912年(明治45年)7月30日に崩御され、御葬儀が同年9月13日にこの場所で執り行われた。ここがその時に御柩車が止められた「葬場殿」の前なのか・・・。

「葬場殿址」の同一区画に建つ「聖徳記念絵画館」

外観は花崗岩貼り、中央部にドーム状になっている。当時、流行っていた建築様式のセセッション風だ。

展示物は「明治天皇」を偲ぶ大きな壁画が80点ほど展示されているらしいが、この日はスルーした。入館料は500円と安い、次は必ず入ってみたい。

そして、もう一つ明治を代表する石碑があった、「樺太国境画定標石」だ。日露戦争の戦後補償で、ロシアより割譲された樺太半分の国境線を示した石標が置かれていた(レプリカ)。必ず取り戻したい北方四島を、プーチンめ(マジです)!!

「樺太国境画定標石」より歩いて10分ほどにある「明治記念館」。現在は結婚式場などを営んでいるみたいだ、いづらいのでそそくさと「旧赤坂仮皇居御会食所」を撮影して引き上げだ。

探せば「明治天皇」の足跡はいくらでもあるが、この辺で次に向かうことにしよう。
 
 

タイトルとURLをコピーしました