還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第一回〈後編〉 黎明期 三代~四代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

安寧天皇陵

手前、拝所の門と奥の門が平行ではなく、斜めになっている構造は珍しく感じる。
 

三代/安寧(あんねい)天皇陵
和風諡号/師木津日子玉手見命 シキツヒコタマテミノミコト
在位年/紀元前五四九~前五一一
陵形/山形
皇居/片塩浮孔宮

所在地 畝傍山西南御陰井上陵 奈良県橿原市吉田町
最寄駅 近鉄南大阪線「橿原神宮西口」から徒歩約七分

 この御陵は、里人が「アネ山」と呼ぶところから安寧天皇陵に擬定されました。御陵の墳形は、畝傍山の西麓で西に向かって延びる、小さな丘陵全体が治定されています。いわゆる山形で全長約一二〇mの長い御陵です。

  

安寧天皇陵(安寧天皇陵)

01Tomb of the Emperor_japan-3-02

山形の御陵に添うように、建ち並ぶ民家が印象的。
 
  

片塩浮孔宮阯 石園座多久蟲玉神社

01Tomb of the Emperor_japan-3-03

近鉄・高田市駅下車すぐに鎮座する「石園座多久蟲玉(いそのにますたくむしたま)神社」に「片塩浮孔宮阯」碑が建てられています。
 
 

四代/懿 徳(いとく)天 皇 陵
和風諡号/大日本彦耜友尊 オオヤマトヒコスキトモミコ
在位年/紀元前五一〇~前四七七
陵形/山形    
皇居/軽曲峡宮

所在地 畝傍山南繊沙渓上陵 奈良県橿原市池尻町
最寄駅 近鉄南大阪線「橿原神宮西口」から徒歩約四分

 自然の舌状丘陵をうまく利用した御陵、丘高は約一六m。東側の谷は「マナゴ谷」、西側の丘陵は「マナゴ山」と呼ばれています。一八六四年(元治元年)に修補され、生垣を前方後円の形にめぐらせたと伝わります。

  

畝傍山南繊沙渓上陵(懿徳天皇陵)

畝傍山南繊沙渓上陵(懿徳天皇陵)
畝傍山南繊沙渓上陵(懿徳天皇陵)

御陵の手前には駐車場があり、堀の横の小さな花壇が可愛らしい。住民に大切にされているようだ。
 
 

軽曲峡宮跡

軽曲峡宮跡

近鉄・岡寺駅下車、徒歩9分の住宅街にある。道の奥には畝傍山が見える。
 
 

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