第一一八回 一二四代 昭和天皇陵 <その4>

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
近現代 一二二~一二四代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

昭和の悠記斎田(滋賀県野洲市)

武藏野陵と昭和の悠記斎田

一二四代/昭和(しょうわ)天皇陵
諱/裕 仁 ひろひと(迪宮・みちのみや)
在位年/西暦一九二六~一九八九年
陵形/上円下方
皇居/皇居(東京都) 

所在地 武藏野陵 東京都八王子市長房町  武蔵陵墓地
最寄駅 JR・京王「高尾」下車、約2.5km、徒歩約40分。

 JR・東海道本線 琵琶湖線「野洲」を下車、徒歩・約2.5km、所要時間・約35分。国道8号線沿いに「昭和 大嘗祭 悠記斎田」がある。

 「悠紀斎田 (ゆきさいでん)」とは、皇位継承後、最初の「新嘗祭」即ち「大嘗祭」で神に供する「神餅・神酒」のお米をつくる田のことを言う。また、「大嘗祭」は、一世で一度きりの神聖な神事である。

 「悠紀斎田」の意味は、「ゆきのように清らかに整えられた田」言い、少なくとも「四〇代・天武天皇」の即位神事から営々と受け継がれていると伝わる。近江野洲にある昭和天皇即位の「大嘗祭」に際し選ばれた「悠紀斎田」は、「近江富士」として名高い「三上山」を借景にする風光美豊かな田畠。また、毎年5月の第4日曜日に行われる「悠紀斎田のお田植え祭り」が行なわれている。その祭りは、昔ながらの「すげ笠、緋ばかま、手甲、脚絆姿」で太鼓に合わせて唄い踊りながら苗植えをする。 

国道8号線と県道の交差点から、右手には国宝の本殿がある「御上神社」、左手に「昭和の悠記斎田」がある。「御上神社」には後でお参りすることにした。

国道から畦道に入れば「昭和の悠記斎田」だ。

「昭和の悠記斎田」の向かいにある「悠紀児童公園」には、いろんな記念の石碑が建っている。

「昭和の悠記斎田」、西日が良い感じに射してくれる。美しい!

後の高い山が「近江富士」と呼ばれ、「御上神社」の神体山でもある標高432mの「三上山」。

反逆光になるが逆からのアングル。奥に見えるのが石碑が建つ「悠紀児童公園」、まるで古墳に見える(笑)。

「昭和の悠記斎田」を後にして「御上神社」にお参り。陽が落ち気味になってきた・・・足早に回ることにした。いつも時間配分を間違える、これは死ぬまで治らないだろう(苦笑)。

鳥居をくぐって境内に入れば、何やら小さな田があった。「御田祭」と書かれている「悠紀斎田のお田植え祭り」と関係があるのだろう。確認したいが時間がない・・・。

上・重要文化財の「楼門」、鎌倉時代後期のもの。

下・同じく重要文化財の「拝殿」。

そして国宝の「本殿」。失礼して拝所から本殿真正面から一枚。罰当たりかも・・・。

最後にもう一度「昭和の悠記斎田」。
 

タイトルとURLをコピーしました