第九六回 一一一代 後西天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代  <前期> 一〇八~一一二代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

月輪陵(後西天皇陵)

「月輪陵」と「毘沙門堂門跡」

一 一 一 代/後西(ごさい)天皇陵
諱/良 仁 ながひと 
在位年/西暦一六五四~一六六三年
陵形/九重塔 
皇居/京都御所 

所在地 月輪陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町  泉涌寺内 
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。

月輪陵

 「111代・後西天皇」は「108代・後水尾天皇」の第八皇子。世襲親王家「高松宮二代」を継承していたが、兄(腹違い)の「110代・後光明天皇」の突然の崩御により即位となった。その即位の背景には、先帝「後光明天皇」の養子に入っていた「後西天皇」の実弟「識仁親王(のちの霊元天皇)」は生後間もないため、即位できるまでの中継ぎ要素の強いものだった。その後1663年、10歳に成長した「識仁親王」に譲位した。

 その御代は天災・火災が続き、民は天皇の不徳を責めるようになり、この世情に流されるように譲位に至ったとも伝えられている。

 
 

「後西天皇」の旧殿を移築した「宸殿」が建つ「毘沙門堂門跡」

 「後西天皇」の足跡を探し「毘沙門堂門跡」へ。ここは天皇が行幸せられた時に「この橋より上はさながら極楽浄土」と言ったそうだ~。では、この「極楽橋」を渡りお参りしてみよう。

 やはりあった急な石段・・・、「勅使坂」と呼ばれているらしい。秋には紅葉が美しく観光のメッカだ、駅のポスターで見たことのある場所だ。はるか上には「毘沙門堂」の入り口が、あぁ~しんどい。

門を抜ければ聖域・極楽浄土だ、まずは「本堂」でご挨拶。ここの第三世住職は「後西天皇」の第六王子「公弁法親王(輪王子宮)」、これで足跡感が出てきた(笑)。

 第六王子「公弁法親王(輪王子宮)」が第三世住職に就任したとき、「後西天皇」から帝の旧殿を贈られ移築した「宸殿」。

 回遊式庭園の「晩翠園」、「心」の裏文字を形取った池? と言うけどよく分からない・・・、心が乱れている者には見えないのだろうか。

 境内から外れ、少し歩いた場所に「後西天皇」第六王子「公弁法親王(輪王子宮)」のお墓がある。いつもの宮内庁立て札があるのですぐに分かった。

 「毘沙門堂門跡」にはJR・京阪・地下鉄「山科」より徒歩約16分、約1100m。

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