第三四話 島根県隠岐島
『後鳥羽天皇、後醍醐天皇、島流の地に流れ着く』<前編>

ソノひびヨリ

2023年 11月20日~23日 

隠岐諸島の島影が見えてきた。
流し流され、流れ流れて、隠岐島に来た。

 八二代・後鳥羽天皇、九六代・後醍醐天皇、両天皇の足跡を訪ねるため鳥取県境港市にある「隠岐汽船 境港フェリーターミナル」にやってきた。「承久の乱」で鎌倉幕府執権「北条義時」に負け、隠岐に配流され都に戻る事なく隠岐で崩御した「後鳥羽天皇」。方や、「後醍醐天皇」は鎌倉幕府に「正中の変」「元弘の乱」と二度もクーデターを仕掛け、いずれも失敗。挙げ句の果て山中で捕まり、隠岐に配流となった。だけど、この方は討幕の思いを諦めず、なんと!隠岐より逃亡!? いやいや、その後、天皇に返り咲いたのだから「脱出」と言うのだろうか(笑)。でも、うまくはいかず味方だったはずの「足利尊氏」に京から追い出され、奈良県・吉野に逃れた。そして、やけくそ気味に「南朝」を開いた・・・。これより朝廷混乱期の「南北朝時代」が始まったのです、なんだか人間味がある面白い天皇に興味が引かれた。

 本日は、両天皇が隠岐に渡る前に滞在した、対岸の島根半島東端にある「美保関」で泊まることにして、明日朝、隠岐に渡ることにした。両天皇の御心を感じてみようではないか(笑)。

美保関に鎮座する「美保神社」、御祭神は「えびす様」。本殿に向かう前の〆縄は出雲系だ、「えびす様」の父神は「大国主神」なので当然か。
美保関の「石畳通り」、風情がありタイムスリップしたような気分になる。 
晴天の船出日和、境港フェリーターミナルから隠岐へ
晴天の境港フェリーターミナル。この先も晴天を祈る。

 朝、9時の境港発隠岐行き「おき」に乗船しようとしたが、昨晩の深酒で一足違いで出港してしまった・・・。急ぐ旅でもあるまいと言い聞かせ、次発「しらしま」で向かうことになった。出港の14時まで寝て時間を潰すことにした、まだ体内にアルコールが幾分残っているから(苦笑)。

 定刻に船は出港。17時15分、予定より5分遅れで島前・西ノ島の別府港に到着。船でもよく眠れた、今晩もよく呑めるはずだと思い下船してホテルへ向った。この旅の宿になる「ホテル隠岐」は、港の前の好立地条件だ、もう、寝坊しても大丈夫! 走れば1分で港に着く、ただ走れるかが問題だが。

 船を一本遅れさせてため日も傾き、本日の行動はここまで。明日は早朝からの行動を誓いながらも、しっかりと晩酌をする吾輩なのです。

「ホテル隠岐」の外観。朝は部屋の窓から朝日を拝める、良い宿です!
隠岐の名産「隠岐馬刺し」をいただく、タテガミの脂が甘く酒が進む。

 隠岐の旅3日目の行程は、対岸の「中ノ島・海土町」に渡り日帰りの散策だ。朝食を取り終え、空を眺めれば雲の流れが早く、昨日のように晴天とはいかないと覚悟をきめた。何の覚悟が分からないが・・・(笑)。

 ホテルを出れば歩いて2分の船着場より、中ノ島・菱浦港に渡る定期船「隠岐観光・いそかぜ」に大人・片道300円で乗船、約7分ほどの「あっ!という間」の船旅が楽しめる。本当に瞬く間もなく菱浦の入江が見えてくる、入江付近に近代的なラグジュアリーホテルが立っている。

 余談だが、「動物園探訪」の「やまんなかタヌキ」さんが泊まったことがあるらしく「とてもハイセンスな良いホテルですよ」と言っていた。吾輩のようなポンコツ還暦越えには無縁のホテルだ、「ホテル隠岐」がちょうどいいのだ(負け惜しみか・・・)。

菱浦の入江に入れば、嫌でも目に付くラグジュアリーホテル「ホテルEntô」。某有名タレントも推しているみたいだ。
島前・中ノ島で「後鳥羽天皇」の足跡をめぐる

 菱浦港に8時32分到着、事前に予約していたレンタカーで「中ノ島」の南側、「後鳥羽天皇」着船の地「崎」に鎮座する「三穂神社」に向かった。約10km、20分で到着。

 ここ「着船の地・崎」は、本土・美保関より荒れ狂う海を渡り「後鳥羽天皇」が上陸をされた港。島に上陸後、天皇はその荒れ狂う海に向かい「われこそは 新島守よ おきのうみよ あらきなみ風 こころして吹け」とお詠みになったと伝えられている。さすがは天皇の御製、ご自分のことを「新しき島の神」と仰しゃり、波や風の自然に対しても威厳を保とうとしている。虚勢を張りたくなるほど、恐ろしい船旅だったんだろう、気持ちわかりますよ。

 「崎港」の小高い鼻先には、隠岐での第一夜を明かした「三穂神社」が鎮座している。3つの鳥居をくぐり拝殿へ向かい、拝殿でこの旅の安全と空模様を祈る。少し雲が湧いてきている、雨が降らなければ良いが・・・。

静かな漁港の「崎港」、雲が気になる・・・荒れなければよいのだが。
漁港を見守るように鎮座している「三穂神社」
境内に入れば、天皇の歌碑や伝承が書かれた説明板などがひっそり佇んでいる。
美しいほどの静けさだ。
拝殿の奥に道があり辿れば、海の側に出られた。裏門みたいなものなのか? そこから隠岐の海を撮影した。

 参拝を終えて、海土町の中心部まで来た道を戻ることにする、いよいよ天候が怪しくなってきた。途中、絶景・撮影スポットを探し車を走らせいると「カルデラ展望所(日須賀上)」なる標識を発見。車を止め調べれば、眼下に広がる海は、島前・三島の中心部で火口だそうだ。今、立っている場所は外輪山と言うことらしい。なるほど、だから「カルデラ展望所」なのか。雲が湧いているが記念に一枚だけ撮ることにする、これでも一応カメラマンだからだ。

晴れていれば絶景なのに・・・、雨男が発動してきたのか。先程の神頼みも効力なしなのか・・・。
海土町の中心部は「後鳥羽天皇」の足跡の中心部でもある

 「カルデラ展望所」より約10分ほどで町の中心部にやってきた。目的地は、島に来られ19年間、無念のまま崩御された「後鳥羽天皇」を島民たちが火葬した場所と伝えられている「火葬塚」に参拝することだ。県道317線沿いに鳥居を発見、その横に「後鳥羽天皇火葬塚」の入り口があった、いつもの宮内庁の表示板と共に。

 車移動は無理と判断して、鳥居の向かいの駐車場に車を置いて徒歩に切り替えた(駐車場は無料でした)。林の中に続く参道を見て「こりゃ、ちょっと歩くな」と、『御陵巡り』で養われた感が働いたのだが、意外や意外100mほどで「後鳥羽天皇火葬塚」した! 吾輩の勘も大した事がない、もうろくしてきたのだろうか(苦笑)。そんな不安な雑念を祓い、「火葬塚」に向かい心を込め参拝をした。

「後鳥羽天皇火葬塚」の入口、この右横に「隠岐神社」入口の一の鳥居、その向かいに無料の駐車場がある。無料は嬉しい。
白い玉砂利が引き詰められた拝所、柵の中の廟までの参道も美しく整備されている。島の人たちが大切にしていることが窺える。

 この「後鳥羽天皇火葬塚」の奥に、天皇がお住まいになられたと伝わる「行在所跡(あんざいしょ)」があるので向かうことにした。行在所は元「源福寺」という寺だったようだ、寂しい暮らしが偲ばれる。

 「行在所跡」に向かう途中には、天皇の島ぐらしの侘しさを自ら癒し歌った歌が刻まれた歌碑が多く立っている。「蛙鳴く 刈田の池の 夕だたみ 聞かましものは 松風の音」寂しさが伝わってくる歌だ。石段を登れば広い平地が現れた、ここで京を夢見て19年の月日を過ごし崩御されたのか・・・。黄葉が舞う中、その御心を思い浮かべたが、ポンコツな心には何一つ感じる事が出来ず、この場をあとに「隠岐神社」に向かうことにした。

ひっそりと佇んんでいたと思える「行在所跡」。
柵内の敷地を見れば「赤土」が出土していた、鉄分が多く含まれている火山灰土なのだろう。
この島は火山で出来た島なのだとしみじみ思った(感じられることはこれぐらいだ・苦笑い)。

 「隠岐神社」に参拝するために駐車場のあった「一の鳥居」に戻った、この穢れ爛れた心身を浄化するために。鳥居横の説明文を読み驚いたのが、この神社は比較的新しい神社なのだ。1939年(昭和14年)に「後鳥羽天皇」生誕700年を記念して創建され、もちろん御神祭は「後鳥羽天皇」のお一方だけなのだ。そのことを知ると、なんとも立派な神社じゃないか。侘しかっただろう行在所と違い、荘厳な本殿にお住まいになれ、さぞお喜びだろう。

 ここでの参拝も終えた、渡し船の時間には少し早いけれど港に戻ることにする。港にあった観光センター「キンニャモニャセンター」が気になり寄りたかったからだ、そこで晩酌の肴を見たかったのだ。・・・やはり心身共に穢れ爛れているな、吾輩は。

 買い物も済まして乗船だ、マイホーム「ホテル隠岐」に帰ることにする。

一の鳥居からの参道は桜が美しいらしい、今は枯れ葉一枚残っていない。
「隠岐神社」本殿は隠岐造の銅板葺。
やっと晴れてきた、雨は降らずにすんだ、このことも神さまに感謝しよう。
「キンニャモニャ」とは、「キン」が金、「ニャ」が女、「モ」が物で、「ニャ」がない。
即ち「金も女も何もない」という意味だと聞いた、吾輩もそうだ(笑)!

境港フェリーターミナルから「美保神社」

島前・西ノ島「別府港」より中ノ島

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