五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
淡路陵(淳仁天皇陵)
四七代/淳仁(じゅんにん)天皇陵
諱/大炊王 おおいおう
在位年/西暦七五八~七六四
陵形山形
皇居/保良宮(滋賀県大津市国分)
所在地 淡路陵 兵庫県南あわじ市賀集
最寄駅 淡路交通バス「御陵前」下車、約1km。車で神戸淡路鳴門道西淡三原ICから車で約10分。
淳仁天皇は、四二代天武天皇(壬申の乱での勝者)の孫。三歳の時に父・舎人親王が没したこともあって、不遇の青年期を送った。
転機が訪れるのは、二四歳のとき藤原仲麻呂の後ろ盾により皇太子に立てられ、七五八年に四六代孝謙天皇から譲位を受け践祚した。
その後、藤原仲麻呂が乱をおこし、それを孝謙上皇が鎮圧。同罪とみられた淳仁天皇は、七六四年流刑として淡路島に流された。
御陵は兵庫県南あわじ市賀集にあり、兵庫県内では唯一の天皇陵。近くには淳仁天皇の生母、当麻山背(たいまのやましろ)の墓もある。
当麻夫人墓(舎人親王妃大夫人山背・淳仁天皇御母 淡路墓)
保良宮