還暦前、写真家の「写して候・寄って候」 天皇御陵踏破の旅 第三〇回 白鳳・奈良時代 四三代元明天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写
してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

奈保山東陵(元明天皇陵)

元明天皇陵

四三代/元明(げんめい)天皇陵
和風諡号/日本根子天津御代豊国成姫天皇 やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと
在位年/西暦七〇七一~七一五
陵形/山形    
皇居/平城京(奈良県奈良市)  藤原京(奈良県橿原市)※四二代文武天皇と同宮

所在地 奈保山東陵 奈良県奈良市奈良阪町
最寄駅 JR大和路線「平城山」より、約二km・徒歩約三〇分。

 元明天皇は草壁皇子の妃だった、そして先帝・文武天皇の母でもある。息子の文武天皇が25歳で崩御し、孫の首(おびと)皇子が幼いため、自分自身が即位した。その後、和銅3年3月10日(710年4月13日)、藤原京から平城京に遷都の大事業をおこなった。この時、右大臣藤原不比等に権力が集中し、事実上の最高権力者になった。
 御陵は奈良市北部の丘陵地帯、「黒髪山」と呼ばれる地域にあり、元明天皇の遺言では火葬場所の指示と、葬儀の簡素化も書かれていたらしい。御陵は遺言通りに簡素なものといわれている。
 

元明天皇陵
拝所の柵の向こうに、誰かが手向けた花束があった。まだ、新しいものだ。
元明天皇陵
簡素と言えども、充分立派な御陵に感じる。 

奈保山東陵(元明天皇陵)

 
 
平城京(奈良県奈良市)

平城京
平城京
平城京には近鉄奈良線「大和西大寺」より、「朱雀門」まで徒歩約二五分。
平城京
広い広場に「第一次大極殿(復元)」がぽっりとあるだけだ。
平城京
朱雀門」の西側でランチをしている高校生、なんだか「いい」風景だ。
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