還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第三回 黎明期 七代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

02Tomb of the Emperor_japan7-01
孝霊天皇陵

片丘馬坂陵(孝霊天皇陵)
JR関西本線の南1.7km程にある、宮内庁管理の「片丘馬坂陵]と呼ばれる王寺町で唯一の天皇陵。
 

七代/孝 霊 (こうれい)天皇陵
和風諡号/大日本根子彦太瓊天皇 おおやまとねこひこふとにのすめらみこと
在位年/紀元前二九〇~前二一五
陵形/山形    
皇居/黒田廬戸宮 

所在地 片丘馬坂陵 奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目
最寄駅 JR関西本線「王子」から徒歩約一七分

孝霊天皇の政を行った「黒田廬戸宮」と「片丘馬坂陵」までの間の地名には『上牧町』、『牧野』など馬に関係する地名が現在まで残っている。遠い昔、この周辺は朝廷の放牧地で、馬に関係する地名もそれに由来するものと思われる。また、廬戸宮に隣接する「三宅町」の地名の由来は「屯倉(みあけ)」からだろうか。
 
 

黒田廬戸宮跡 孝霊神社

黒田廬戸宮跡  孝霊神社

宮跡の石碑は、桃太郎伝説発祥の地として町がPRしている法楽寺の入口にある。近くの孝霊神社は法楽寺の鎮守社として境内にあったが、明治に現在の地へ遷座した。
 
 

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