本年、3月27日にインターネットニュースでカヌーイストで作家・野田知佑さんの訃報を知った。84歳の高齢を考えれば「いつかは」・・・、それでもファンとしてはショックだった。
今から20年ほど前、ある企業の冊子制作会議で野田知佑さんのインタビュー企画を提案した。その企画が運良く通り、2回ほど、終の住処になった「徳島県海部郡美波町・日和佐」にお邪魔した忘れられない思い出がある。
旅とは何か、自由とは何か、生きるとは何か、を書籍だけではなく直接お話を聞かせて頂いたことに今でも感謝しています。
私なりに追悼の意の表し、その時にお話して頂いた素敵な「旅」の話を残しておきたく思い、ここに書かせて頂きます。
長い旅、お疲れ様でした。また、新たな旅のスタートですね。安らかな旅路を祈っています。私たちに「旅」をありがとうございました。
2002年 12月・2日「いよいよ野田さんに会える!!」
旅好きでアウトドア好きの私たち編集スタッフは、それぞれが活字の中の野田知佑像を胸に膨らまし、一路、徳島県海部郡美波町日和佐へ。
どんどん厚くなってくる雲が鬱陶しい。取材日は今日一日だけなのに。「良い条件で」撮影取材できるのか・・・。『イチかバチかの勝負』、まさにこの曇り空のような気持ちのままで、日和佐に到着。国道55号(土佐東線)を走り、枝道に折れJRの小さな踏切を渡った、細い細い農道を不安げにしばらく行けば終の住処となった家に着いた。
私たちは適当な所に車を止め外へ、いきなり2頭の犬が走って来た! タロウとテツ(カヌー犬ガクの息子たち)のお出迎えだ。その後から、野田知佑さんが突然あらわれた!
私たちが少し緊張しながら挨拶していると言い終えないうちに、野田さんが開口一番
『今日、撮影をするの? 明日、晴れるよ』
その一言ですべてが決まった(予定変更だ)! 明日も取材ができる、いや、一緒に居られる!! と、私は心の中で小躍りをした(笑)。
『まあ、なにもないとこだけど楽しんでって』
初対面の私たちに、まるで旅人を迎えるように温かい言葉をかけて頂いた。その言葉で肩の力が抜けた思いだった、そして「活字の中の野田知佑とまったく同じだ!」、私含め皆同じく感じたことを、後日スタッフどうしで話した思い出がある。
野田さんの提案で、時間に追われる事が無くなった私たちは、軽い取材のあと一旦野田さんと別れ、環境素材写真を撮りに「四国八十八カ所二十三番札所・薬王寺」「JR日和佐駅」「日和佐漁港」などへ出かけた。
ちなみに日和佐の大浜海岸はウミガメの産卵地としても有名で、ウミガメが見られる「日和佐うみがめ博物館カレッタ」がある。
その後、午後6時30分に国道沿いのとあるお店に再集合。新鮮な海の幸と野田さんの大好きな焼酎があれば、そこは晩餐会場。飲むほどに味わうほどに・・・、我々は野田ささんの愉快な旅話に全身でかぶりついたのだった。
旅をしていると『たまには人に会いたいよね』
旅に出れば様々な出会いもある。とりわけ人との出会いは野田さんにとっても興味津々だ。
『アラスカに入ると人口が減る。1カ月間誰にも会わないこともあって、それはとてもつまらない』『たまには人に会いたいよね』
だからユーコン下りは、もっぱらカナダなのだ。ユーコン準州の州都ホワイトホースからドーソンまでが特に面白く、手軽で初心者でも楽しめる。面白いというのは、一人になりたいときは一人でいさせてくれるし、誰かに出会いたいと思えば出会えるといった、人との適度の距離感が保て、そして食料の心配もないということだ。
お礼にハーモニカを吹くと『イヌイット(先住民)の婆さんが、ボロボロ泣くぜ』
カナダ先住民との話になると、私たちは深く感心した。彼らには、困った人を助けるのは当たり前という不文律を持っている。
『氷点下のユーコン流域で道に迷ったあげく、辿り着いた小屋が閉まっていたら確実にアウト(笑)』
だから、カギはかけない。旅人にはまず熱いコーヒーを、そして食事を与える。そんな時、野田さんはお礼としてギターやハーモニカを演る。「酒は涙かため息か」や「五木の子守歌」を演ると言う。
『イヌイット(先住民)の婆さんが、ボロボロ泣くぜ』
ユーコン下りは、ヨーロッパからの人が多い。特にドイツ人がなぜか多い。彼らと一緒にキャンプし、焚き火を囲んでよくやるのが詩のリサイト(暗誦)。ドイツ人はゲーテを、野田さんは島崎藤村の詩をリサイトする。
『これがお互いに(ワケも分からず)ジンとくるんだなァ』
なんて粋なんだろう。
自分の行動に責任を持つと『人間は何をしてもいいんだよ』
また、チェロをカヌーに乗せて下っている男がいて、朝、ユーコンに揺られながらバッハを奏でるらしい。
『あいつがもし沈(チン=転覆のこと)したら、チェロをライフジャケット代わりに使うんだろうなあ』
その話を聞いて、「本当に人間の行動や発想には枠がないんだなあ」と思い、その後の言葉に勇気ずけられた。
『人間は何をしてもいいんだよ』
その大胆な言葉の裏には、高いモラルを持ち、自由に考え、自分の行動に責任を持ちながら旅を楽しむ野田さん独特の厳しさがある、と強く感じた。
選択は自分でする『いい旅は、自由で孤独な旅なのだ』
出会うのが旅なら、孤独と向き合うのも旅のもう一面だ。
『絶対的な孤独を味わうことは決して悪いことではない』
と、やはり野田さんらしい。そもそも日本にいたら誰にも会わないなんてあり得ない。
『いい旅は、自由で孤独な旅なのだ』
『一人だから、何をしても何をしなくても、すべてが自由』
『日本人は常に群れる傾向があるけど、若者なら一人で荒野を行きたいよね。老人の一人旅だって捨てたもんじゃないぞ。80歳くらいの老人がカヌーに山ほど本を積んで、先住民の村にその本を寄付しながら下っていったのを見たけど、そういうのもカッコいいと思ったなあ』
私たちは、完全に野田ワールドの旅人化し、ただ聞き入って、その風景に自分を重ねた。
荷物は少ないのがいい『人間は、何も持たないのがいい』
人は、いろいろなものを背負い込みすぎている。だから丸裸になると不安なのだ。旅ではそれが疑似体験できる。それだから面白いと思いたい。
『人間は、何も持たないのがいい』
カヌーのなかに必要最低限の道具を放り込んで世界中の川を旅する野田さん。もちろん川で過ごす時間が圧倒的に長い。
『カヌーに積んである折り畳みの机と椅子を組み立てて、周囲100kmに誰もいない大自然の中でコーヒーを飲み、本を読むんだ』
野田さんはその時の光景を思い返すように、目をつむった。
『川の上では陸のルールに縛られない。ルールは自分なんだ』
翌日12月3日 海部郡某海岸へ撮影に
さて、翌日は好天だ。12月だというのに水温が20度近くもあるお気に入りの海岸で焚き火を囲んだり、ファルト・ボートで沖へ漕ぎ出す、野田さんにとって日常の撮影が始まった。
着いて直ぐに、スタッフたちに流木を集める様に指示。あっという間に焚き火が完成した。さすがだ。
たった2日の間にいろいろとを感じた。今は日和佐に住むが、ずっと田舎じゃたまらないので、都会の灯りが恋しくなる。ずっと日本じゃ息が詰まるので、ユーコンで深呼吸してくる。孤独は好きだけど、人も大好き。また、野田さんの旅は、冒険や刺激を求めてではなく、自由な自分に会いに行く旅だということも分かった。
そんなところが、『まるで、大きな振り子みたい』だと思った。右に振れれば同じ勢いで左に向かい、そしてまた右へ帰る。しかし、自分という軸は微動だにしない。
我々が生きているこの現代では、欲求や不安に心動かされ右往左往してしまうことがある。そして、自分を諫めたりする。日常が嫌になり、逃げるように旅に出ることもある・・・。
そんな旅ではなく、野田さんのように旅したい。背伸びせず、無理なく、自分の尺度で自由な旅がしたい。
「不安なんてない、のんびり行こうぜ」ポンッ!と野田さんが背中を押してくれたような気がしたのは、私だけだろうか。
さいごに
段編的だが私たちが、同じ時間を共有でき、お聞きした至福の旅話だ。今でも私の宝物のひとつだ。
そして、現在はライフワークバランスやテレワーク、ワーケーションなど自由に過ごせる時間が増えている。だからこそ自分らしい旅をするいいチャンスだ。
例えば、お金をかけなくても、知恵を絞り、身体と時間を使う旅という選択肢もある。まずは、勇気を持って新しい自分への第一歩を踏み出してみたい。
自(みずか)らを由(よし)とする、旅を目指したい。
四国八十八カ所二十三番札所・薬王寺
JR日和佐駅