五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
成菩提院陵(白河天皇陵)
七二代/白 河(しらかわ)天皇陵
諱/貞仁 さだひと
在位年/西暦一〇七二~一〇八六
陵形/方丘
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮
所在地 成菩提院陵 京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町
最寄駅 近鉄京都線・京都市地下鉄烏丸線「竹田」から、約800m・徒歩約10分。
七一代・後三条天皇の第一皇子。白河天皇は先帝の意思をついで、政治の中心から藤原氏をしめだすことに成功する。これにより、繁栄を極めた藤原氏は没落していく。
その後、白河天皇の自身が政治の実権をにぎり、思うがままの政を行うことになる。退位後も上皇となり院政をひいた、はじめての天皇。また、武士と結びつくことで源氏や平氏が力を持つようなりはじめる。天皇・貴族から、武士の政への道筋となっていった。貴族時代であった平安時代が終わり、 武士の時代へと進んでいった。
白河法皇は自身の死後は土葬されることを望んだが、遺恨がある興福寺の僧兵が報復として「墓暴き」の計画を知り、急遽火葬にするように命じたという。崩御時にはまだ遺骨を納めるための「成菩提院」が落成していないため、衣笠山の山麓で荼毘に付され「香隆寺」に一次的に埋葬した。そして天承元年(1131年)成菩提院に遺骨を改葬した。
白河天皇火葬塚