第六七回 八二代 後鳥羽天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜八六代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

大原陵(後鳥羽天皇陵)

八二代/後 鳥 羽(ごとば)天皇陵
諱/尊成 たかひら・たかなり
在位年/西暦一一八三~一一九八年
陵形/十三重塔
皇居/平安京 水無瀬神宮(大阪府三島郡)

所在地 大原陵 京都府京都市左京区大原勝林院町
最寄駅 京都市営地下鉄「国際会館」下車、京都バスで「大原」下車、徒歩10分

 80代・高倉天皇の第四皇子。1183年に平氏が82代・安徳天皇を擁して西走した後、祖父「 後白河法皇(77代天皇)」の院政のもとで即位した、安徳天皇の異母弟に当たる後鳥羽天皇。

 新古今和歌集の編纂でも知られ、文武両道といわれている。鎌倉時代の1221年(1198年、土御門天皇への譲位後)、「承久の乱」で鎌倉幕府執権の「北条義時」に敗北、隠岐に配流され、1239年に都に戻る事なく同地で崩御した。 

 その御陵は京都市左京区大原勝林院町にある「大原陵」に治定されている。宮内庁上の形式は石造十三重塔。また、島根県隠岐郡に火葬塚がある。遺骨は火葬塚に納められたが、明治6年に明治天皇の命により大阪の水無瀬神宮に合祀された。

 その他、広島県三次市「天皇山」と呼ばれる山があり、佐賀県神埼市脊振町にも後鳥羽院御陵と呼ばれる陵が存在している。後鳥羽伝説が西日本に多く残っている。

 

三千院を越え、朱塗りの欄干の橋を渡り歩くと宮内庁の表示板が見えてくる。石段を進めば御陵に着く。
訪問時期は秋口だったので、紅葉には少し早かった(苦笑)。参道より大原の山を一枚。

後鳥羽天皇火葬塚(隠岐島 島前 中ノ島・隠岐神社内)

はるばる、隠岐に来た(笑)。入り江の中は静かな海で美しい、火葬塚へは明日に向かう。
船着場の「承久海道キンニャモニャセンター」より入り江沿いに約40分歩き、「隠岐神社」のある集落に着いた。
「隠岐神社」を過ぎたら直ぐに、火葬塚の拝所入口がある。 

水無瀬神宮

明治天皇の命により、御霊を合祀した「水無瀬神宮」。阪急京都線「水無瀬」より。徒歩約11分。
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