還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
子息が即位した「日本武尊」は追尊天皇と言える

御名/日本武尊(やまとたけるのみこと)
倭建命(やまとたけるのみこと)
生没年/景行天皇12年~景行天皇41年
時代/大和時代
続柄/一二代・景行天皇(父) 一四代・仲哀天皇(子)
陵名/白鳥陵
陵形/前方後円
所在地 白鳥陵 大阪府羽曳野市軽里
最寄駅 近鉄南大阪線「古市」下車、約八五〇m、徒歩約一二分。
「一二代・景行天皇」の皇子で、「一四代・仲哀天皇」の父である「日本武尊」。日本書紀では「日本武尊」、古事記での表記を「倭建命」されている、カナ読みはどちらも「やまとたけるのみこと」と同じ。記紀による伝説的な皇族で、「熊襲征討」や「東国征討」など英雄伝記として記されている。また、薨去の後に白鳥となり飛び立った「白鳥伝説」などが語り続けられている、日本書紀には白鳥が舞い降りた場所に陵墓を造ったといわれている。
その御陵は、宮内庁により三ヶ所が治定されている。三重県亀山市の「能褒野墓(のぼののはか)」、奈良県御所市「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」、そして大阪府羽曳野市にある同名の「白鳥陵」。この羽曳野市「白鳥陵」は墳丘長190メートルの前方後円墳、五世紀後半の築造と推定されている。皇子の墓を「陵」というのは、「日本武尊」の「二つの白鳥陵」のみで、このことからも「追尊天皇」格であるといえる。

上・古市駅より「竹内街道」を歩けば「白鳥陵」を通る。あまりに大きいので高い位置から見てみたくなり、国道一七〇号まで歩き歩道橋にのぼるも・・・。あまり見えない(苦笑)。
下・「白鳥陵」の北側を通る「竹内街道」

立派な御陵、皇子の陵墓とは思えない。天皇にふさわしい大きさだ!


御陵の北西端を左折、ここで「竹内街道」だ。畑に挟まれた畦道を進めば、密集した民家の中に拝所入口を見つけた。

古代の追尊天皇らしい風格を持つ御陵です。