還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
神功皇后陵、飛地「陪冢」を歩く

御名/神功皇后(じんぐう)
諱/気長足姫(おきながたらしひめ)
生没年/成務天皇40年~神功皇后69年
時代/古墳時代 前期
続柄/一四代・仲哀天皇(配偶者) 一五代・応神天皇(子)
陵名/狹城盾列池上陵
陵形/前方後円
所在地 狹城盾列池上陵 奈良県奈良市山陵町
最寄駅 近鉄京都線「平城」下車、約四〇〇m、徒歩約六分。
宮内庁が「神功皇后陵(狭城盾列池上陵)」に治定されている遺跡名「五社神古墳」の周辺には、小規模な古墳「陪冢」が数基存在している。現在、治定されているのは「湟内陪冢」と「飛地陪冢(い号・ろ号・は号・に号)」四ヶ所、合わせて五ヶ所ある。しかし、いずれにしても詳細は不明である。
「陪冢」とは、大型古墳(主墳)の周囲に配置された小型古墳のことをいい、主墳の埋葬者の近親者・従者の墓であると考えられている。または、主墳埋葬者の副葬品を納めた「陪冢」も存在する。

御陵、西側の道を約350m北へ進めば、登りの枝道がある。これを進む。

上り坂から約120mほどで「飛地陪冢・ろ号」に到着。

「ろ号」よりさらに約50m進むと「飛地陪冢・い号」が現れる。二ヶ所とも余り整備がされていないようだ・・・。「に・は号」はどうなのか不安になる・・・。

上・きた道を駅方向に戻り線路を渡り、向かうは「飛地陪冢に・は号」。
下・ここで迷った・・・、雑木林に続く道が正解だった。

民家の軒を通り、藪道を踏みしめ到着したのは「飛地陪冢・に号」だ。この道を進むに躊躇した、どこかにマムシがいそうで(苦笑)。

上・さらに藪をかき分け進んでいくと白い標示らしきものを発見
下・ここが「飛地陪冢・は号」だった、こんな場所に誰がくるのだろうか? その上、埋葬されている墓の上を歩いてだ・・・。

もうひと頑張り歩けば、抜けの気持ち良い景色が広がる場所を発見した。
ただひとつ残念なのが、「湟内陪冢」を見つけられなかった。色々、調べたのだが・・・。