還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
第七回 黎明期 十二代〜十三代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

景行天皇陵

山邊道上陵(景行天皇陵)
野花を前に、山辺道の道から望む天皇陵。
 
 

十二代/景行(けいこう)天皇陵
和風諡号/大帯日子淤斯呂和気天皇 おおたらしひこおしろわけのすめらみこと
在位年/西暦七一~一三〇
陵形/前方後円
皇居/纒向日代宮

所在地 山邊道上陵 奈良県天理市渋谷町
最寄駅 JR桜井線「巻向」から徒歩十二分

江戸時代までは、崇神天皇陵だと思われていた景行天皇陵。全長三一〇M、高さ二三M、日本で第七位の大きさ。ヤマトタケルを恐れ疎んじる父のイメージが強い景行天皇。だが、皇子・皇女合わせて実に子どもは八〇人、精力家だったのだろうか。
 
 

纒向日代宮

纒向日代宮

御陵より徒歩二〇分に宮跡の石碑がる。
ここから東に一〇〇M、相撲発祥の地と言われる、穴師の相撲神社がある。

纒向日代宮

宮跡の石碑から、坂道を昇れば御陵を眺望できる休憩所がある。
 

十三代/成務(せいむ)天皇陵
和風諡号/稚足彦尊 わかたらしひこのみこと
在位年/西暦一三一~一九〇
陵形/前方後円    
皇居/志賀高穴穂宮(滋賀県大津市)

所在地 狹城盾列池後陵 奈良県奈良市山陵町
最寄駅 近鉄京都線「平城」から徒歩八分

成務(せいむ)天皇陵は日本最大級の古墳群である佐紀盾列古墳群の一つで、平城宮跡の北側、近鉄大和西大寺駅や新大宮駅などから徒歩圏のエリアに広がる。御陵は、奈良市のハイキングコースである「歴史の道」沿いにあり、周りはハイキングコースになっていて奇麗に整備されている。
 
 

狹城盾列池後陵(成務天皇陵)

成務天皇陵

奈良市郊外の住宅街を望む高台に設けられている古墳、全長二七 五mの前方後円墳
 

 
 

志賀高穴穂宮

志賀高穴穂宮跡

滋賀県大津市穴太、京阪電鉄・穴太駅下車徒歩二分にある、志賀高穴穂宮跡。

志賀高穴穂宮跡

高穴穂神社境内の最も奥に大きくて立派な石碑が建っている。
 

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