還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
金原陵(土御門天皇陵)
八三代/土 御 門(つちみかど)天 皇 陵
諱為/仁 ためひと
在位年/西暦一一九八~一二一〇年
陵形/八角丘
皇居/平安京
所在地 金原陵 京都府長岡京市金ケ原金原寺
最寄駅 阪急京都線「西山天王山」下車、徒歩約30分。
「83代・土御門天皇」は、1198年に父の「82代・後鳥羽天皇」の譲位により3歳で即位。当然のごとく後鳥羽上皇による院政がしかれる。土御門天皇の穏和な性格が、鎌倉幕府に利用されるのを恐れた「後鳥羽上皇(82代天皇)」は退位を迫り、1210年に異母弟の「84代・順徳天皇」に譲位、同年、上皇となる。
「承久の乱」には、土御門上皇の関与がなく処罰の対象にはならなかったが、父の「後鳥羽院(82代天皇)」が隠岐に配流されたのを忍び、自ら望んで土佐国に配流された。後に、幕府の温情により都に近い阿波国に移され、守護に命じ「阿波の宮殿」を造営もさせた。1231年に出家し、同年37歳で崩御した。
その御陵は京都府長岡京市にあり、宮内庁上の形式は八角丘。また、徳島県鳴門市大麻町池谷に「土御門天皇」を御祭神とする「阿波神社」があり、その横地各に火葬塚もある。
土御門天皇火葬塚(徳島県鳴門市・阿波神社公園横)
土御門上皇行宮跡