還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
嵯峨南陵(後嵯峨天皇陵)
八八代/後嵯峨(ごさが)天皇陵
諱/邦仁 くにひと
在位年/西暦一二四二~一二四六年
陵形/方形堂
皇居/平安京
所在地 嵯峨南陵 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町 天竜寺内
最寄駅 京福電車「嵐山」下車、約500m、徒歩約6分。
88代・後嵯峨天皇は、「承久の乱」で自ら土佐に配流された83代・土御門天皇の子である。土御門天皇の配流後は、母方の大叔父「中院通方・土御門定通」の許で育つが、一門の没落で苦しい生活を送り、20歳を過ぎても元服すら出来なかった。
先帝・四条天皇が突然崩御したため、皇位継承の問題が持ち上り、有力公卿や鎌倉幕府の思惑のため問題は難航した。最終的には「執権・北条泰時」と京にいる「六波羅探題・北条重時」の力により
後嵯峨天皇として即位した。この時代は公武がうまくいく、比較的に安定した時代だったと言われている。
その御陵は、世界遺産になっている天龍寺境内にある、形式は檜皮葺、宝形造の法華堂。その御陵に並ぶように、生前にかわいがった「90代・亀山天皇」の御陵もある。
後嵯峨天皇火葬塚