ソノひびヨリ
2023年 5月
まだまだ続く、「名建築」散策の旅
次に向かうのは「旧門司税関」。「九州鉄道記念館」から「トロッコ並木道」を経由して、入り江の対岸へ歩けば「レトロ中央通り」、その通りを進めば「旧門司税関」に到着。ちなみに「トロッコ並木道」横に線路(門司港レトロ観光線)があり、「九州鉄道記念館」近くの駅から季節限定の「トロッコ観光列車・潮風号」が関門橋あたりの「関門海峡めかり」駅まで運行している。タイミングが合えば乗車をおススメします、楽に関門橋観光ができるから(笑)。残念ながら、この時は試験運行中だった・・・。
さて、本題の名建築に話を戻すと「旧門司税関」は1912年(明治45年)に煉瓦造りで建設された税関庁舎、だが完成後、まもなく火事で焼失・・・。現存する建物が二代目になるのだけれど、昭和20年の門司空襲で大きく破損し、その後、長らく倉庫として使われていた悲しい歴史を持つ建築物だ。
二代目「旧門司税関」を建築指導したのが建築家「妻木頼黄」、明治建築界の三大巨匠の一人と言われている人だ。そんな偉い人なのに、現存する彼の監修した建物が非常に少なく、また明治の赤煉瓦建築として極めて優れていることから、残る一部を利用して復元された建築物なのです。
復元には4年の歳月をかけ、1995年(平成3年)に「門司港レトロ」と共にオープン、当時の姿で門司港に復活したのです。1階には「休憩室」「喫茶店」があるので、歩き疲れたらここで休憩するのも良いですよ〜、吹き抜けの広々とした空間でリラックスできる! でも、私は次へと向かいます。
次は、「旧門司税関」の真向かいの「北九州市大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)」。ここは古い建築物ではないのですが、「門司レトロ」の案内表示にも載っていたのでついお邪魔です。説明によると、かつて遼東半島にある大連市と門司港(門司市)は、国際航路で結ばれていて交流が盛んだった。昭和45年に両市は友好都市を締結して、その締結15周年を記念して建てたのがこの「北九州市大連友好記念館」です。そのモデルになったのが、当時、大連市を租借していたロシア帝国が建築(明治35年)した「東清鉄道汽船事務所」を、そっくりそのまま複製建築されたんですって・・・。
なんだか舌足らずの説明で「?」が浮かびます。なんとなくですが、日露戦争で勝利した日本が、ロシア帝国より租借権を引き継いだことに由来がありそうだけれども(まぁ、いいか・苦笑)。書けない複雑な事情があるんだろうね。
複雑な事情は置いといて、「門司港レトロ」を俯瞰して展望できるタワーに昇りましょう〜!
展望室はタワーマンションの31階、高さ103mにある「門司港レトロ展望室」! その眺望は、もちろん「門司港レトロ」が一望でき、逆方向に振り向けば「関門橋」が架かる関門海峡の風景が見られる絶景ポイント。ただ、エレベーター代・大人300円が必要です(笑)。
なんと、このタワーマンションは建築家・黒川紀章さんの設計で、日本夜景遺産事務局がここから見える夜景を「日本夜景遺産」に選定しているんです。お値段も高いなんだろうな。
タワーを降りると「門司港レトロ」のアトラクション!「ブルーウィングもじ」へ。アトラクションと言っても、ただで渡れる全長約108m、日本最大級の歩行者専用「はね橋」なんです。1日6回、跳ね上がり、橋が閉じて最初に渡ったカップルは一生添い遂げる「恋人の聖地」にも認定されている。私にはそんなことは関係ないが、跳ね上がる動きはなかなか迫力がある!!
橋が跳ね上がる時間は10時、11時、13時、14時、15時、16時 になっていて、20分後には橋が閉じ通行ができます。その橋の袂にはイタリア建築界の巨匠アルド・ロッシによって手掛けられた「プレミアムホテル門司港」が佇んでいる。おぉ〜、まことに名建築の宝庫だ。
そろそろ名建築を巡る旅も終わりを迎えます、「門司港レトロ」を少し離れ街場を散策すれば、まだまだ多くの名建築が残っています。時間がある旅なら、是非、散策をすればまだまだ名建築を発見ができますよ。