還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代 <前期> 一〇八~一一二代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
月輪陵(後光明天皇陵)
一一〇代/後光明(ごこうみょう)天皇陵
諱/紹 仁 つぐひと
在位年/西暦一六四三~一六五四年
陵形/九重塔
皇居/京都御所
所在地 月輪陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺内
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。
「110代・後光明天皇」は「108代・後水尾天皇」の第四皇子、徳川幕府二代将軍「徳川秀忠」の五女の「東福門院(源和子)」が養母として育てた。1643年、先帝「109代・明正天皇(興子)」の譲位を受けて、11歳で即位した。
「東福門院(源和子)」が養母とされたため、徳川氏とは形の上で外戚の地位を保っていた。ただ、父の「108代・後水尾天皇」と同じく幕府の関与を嫌い、事あるごとに幕府と衝突したと伝わる。その為、在位12年・22歳で崩御したのも幕府による毒殺ではないかとの言われている。
その御陵は「泉涌寺」内の「月輪陵」に葬られている。また、「110代・後光明天皇」の大葬より、従来の火葬(荼毘)を改めて土葬の制にした。その後、「昭和天皇」に至るまで歴代天皇は土葬とされている。
「後光明天皇」が皇后懐妊の時、安産祈願の勅命を下した「大蓮寺」
今回も御陵は「月輪陵」、「後光明天皇」の足跡を探そうとしたが中々無い・・・。探し出セタのが、京都市のど真ん中!? 安産祈願で有名な「大蓮寺」だった。「大蓮寺」には京阪本線「三条」より徒歩約9分、約650mと近い。
本堂は意外にこじんまりとしていた・・・。横に吊るされている提灯には「安産」の文字が書かれている。
今回の御陵旅は消化不良なぽいので(苦笑)、もう一箇所を巡る事にした。
祈願して生まれてきた第一皇女「孝子内親王」が眠る「般舟院陵」
辿り着いたのは、二度目の訪問「般舟院陵」だ・・・。
京都市営地下鉄「今出川」から約1,7kmで徒歩25分くらいだが、時間があるので京都御所を観光がてら歩き「般舟院陵」に向かった。
江戸時代は本当に同じ御陵が多く、幕府の圧力を感じる。江戸幕府のシブチン野郎~~、御陵旅をつまらなくしやがって(言葉が荒くなってしまい、失礼しました・笑)。