五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
深草陵(仁明天皇陵)
五四代/仁明(にんみょう)天皇陵
和風諡号/日本根子天璽豊聡慧尊 やまとねこあまつみしるしとよさとのみこと
在位年/西暦八三三~八五〇
陵形/方形
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮
所在地 深草陵 京都市伏見区深草東伊達町
最寄駅 京阪本線「藤森」から、約1km・徒歩約14分。
叔父の53代淳和天皇の譲位を受けて即位。当初、淳和天皇の皇子を皇太子に立てていたが、「承和の変(842年)」により廃太子させ、代わりに仁明天皇の第一皇子(後の文徳天皇)が立太子した。息子に皇位を継がせたい帝と、それを利用したい藤原良房の陰謀があったと言われている。850年に病により、文徳天皇に譲位。太上天皇位に就くことなく、2日後に崩御した。
宮内庁の形式は方形されているが、これは文久の修復のさいに造られたもので、本来の深草陵は同区深草瓦町の善福寺周辺とも考えられている。
深草陵
梅宮大社