還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
蓮華峯寺陵(後宇多天皇陵)

九一代/後 宇 多(ごうだ)天皇陵
諱/世仁 よひと
在位年/西暦一二七四~一二八七年
陵形/方形堂・五輪塔
皇居/平安京
所在地 蓮華峯寺陵 京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町
最寄駅 JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車、約2,3km、徒歩約30分。
91代・後宇多天皇は、90代・亀山天皇の第二皇子で「大覚寺統(南朝)」の天皇。中世期、日本最高の賢帝の一人といわれ、対立していた「持明院統(北朝)」の花園天皇からも『末代の英主』と称えられていた。しかし、晩年には仏道修行(真言宗)への傾倒が強く、政を疎かにしたとも言われている。また、あえて政から離れ、皇子の「後醍醐」に天皇としての威信と経験を積ませたともいわれている。
御陵は、自ら再興した大覚寺殿(大覚寺)で崩御後、そこからほど近い蓮華峰寺の傍山に葬られている。形式は方形堂・石造五輪塔。

田園と竹やぶに挟まれた道までくると、もう参道。


蓮華峯寺陵 飛地へ号・飛地ほ号・飛地に号

まずは、来た道にある「飛地へ号」に。


その裏ら辺りに「飛地に号」があった、この近くに「飛地は号」があるはずなのだけど・・・。
これ以上は無理だ、「いろは」は次にする(失笑)。
後宇多天皇髪塔

後宇多天皇の髪塔(御影堂)だ。御所を寄進して「龍翔寺」を創建し、
後に大徳寺内へ移転してしまったが、髪塔だけは旧地に残されたようだ。細い路地裏にあった・・・。
桂昌院・後宇多天皇菩提所

髪塔の最寄り駅のJR山陰本線「花園」から「京都」、奈良線に乗り継ぎ「東福寺」下車、桂昌院まで徒歩約10分。