第一〇七回 一二一代 孝明天皇陵 <後編>

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
江戸時代  <後期> 一一八~一二一代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

後月輪東山陵(孝明天皇陵)

「後月輪東山陵」と「玉鉾神社(愛知県知多郡)」

一二一代/孝 明(こうめい)天皇陵
諱/統仁 おさひと 
在位年/西暦一八四六~一八六六年
陵形/円丘
皇居/京都御所 

所在地 後月輪東山陵 京都府京都市東山区今熊野泉山町  泉涌寺内 
最寄駅 JR・京阪本線「東福寺」下車、約1,5km、徒歩約25分。

後月輪東山陵
若宮八幡宮・孝明天皇御胞衣塚

 「後月輪東山陵」を後にし、次に向かう五条にある「若宮八幡宮」まで約2.6km。気候もいいので歩いて行く事にした、東大路通から府道143号線を歩けば五条通にぶつかる、そうすれば直ぐ「若宮八幡宮」に到着した。

 この「若宮八幡宮」は、その昔に源氏一族が手厚く信仰し、室町時代になると足利歴代将軍の崇敬を集めたのだが・・・。その後、「応仁の乱」の戦禍により荒廃し、社地を転々としていき1605年に五条坂のこの地に落ち着いたらしい。

 一の鳥居をくぐり約50m進めば到着、目的の「孝明天皇御胞衣塚」は境内に入って右手すぐに発見できた。

鳥居をくぐり真っ直ぐに進めば「若宮八幡宮」本殿拝所だ。

拝所の向かいに御胞衣塚が祀られている。
昭和四二年(1966年)の「孝明天皇・御百年祭」には「昭和天皇」からの勅使が来られていた。

若宮八幡宮から京都御苑「桂宮跡」へ

 次に向かうのは「京都御苑」、歩けば1時間はかかるので京都市地下鉄「五条」より乗車する事にした(笑)。「今出川」まで乗車時間・約7分で到着した、地上に出て今出川通を東に約150m進むと同志社大学の向かい「今出川御門」に到着。

御門からすぐ東側が「孝明天皇」の仮御所だった「桂宮跡」、その向かいには養育係を務めた「近衛邸跡」がある。丁度、桜の季節だったので、「近衛邸跡」の「イトサクラ(枝垂れ桜)」の見物と洒落込んだ。

 片手には缶ビール、片手にスマホで次の訪問先を検索中、すると面白そうな場所を発見した! そこは「孝明天皇」を御祭神とする、愛知県知多郡にある神社を・・・。

「今出川御門」直ぐ横の白壁、ここが「桂宮跡」だ。

少し歩けば、「桂宮跡」と書かれている木の表示があった。時間が経てば朽ち果てそうな・・・。

「桂宮跡」向かいの「近衛邸跡」名所の「イトサクラ(枝垂れ桜)」だ、花見には丁度いい時期に来た。日頃の行いが良いからだろうか。

愛知県知多郡にある孝明天皇祭神の「玉鉾神社」へ

 数日後、JR・名古屋に降り立ち、名鉄「名古屋」より名鉄河和線で「知多武豊」駅へ向かった。特急で約40分ほどで「知多武豊」に着いた、何やらこの駅名を見たら無性に競馬がしたくなった(笑)。駅前コンビニ横の県道を約7分歩けば神社に着いた、一本道だったので迷わずにすんだ。

 ここは「孝明天皇」の勅願を叶えるため、力士隊(伊藤博文が率いた奇兵隊の一支隊)隊長「旭形亀太郎」によって創建、「孝明天皇」を御祭神としてお祀りした神社だ。

 「孝明天皇」の足跡なら京都にいくらでもあったが、「なぜ」この神社に興味を持ったかと言えば「この場所」にある。それは、天皇の遺言で「熱田神宮」と「伊勢神宮」の中間に、この「玉鉾神社」を創建したと知ったからだ。「勝者の後ずけ」のような気がする、なにやら怪しい気がして(笑)確かめにきた。

県道を歩いていると桜が目に止まった、そこには「菊の御紋」が輝く石柱表示が建っていた。

鳥居の奥に本殿拝所が見える。本殿の造りは「神明造り」のように見えた・・・。

近くによれば千木がキラキラと光っている、そしてまた「菊の御紋」。

上・本殿の拝所、上手には「石のみろく像」下手には神馬を模った「御彫馬」が置かれている??
下・拝所奥の本殿扉にも「菊の御紋」。なんだか派手派手しさを感じてしまう、複雑な心境でここを後にした。

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