還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
近現代 一二二~一二四代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
多摩陵(大正天皇陵)
一二三代/大 正(たいしょう)天皇陵
諱/嘉 仁 よしひと(明 宮・はるのみや)
在位年/西暦一九一二~一九二六年
陵形/上円下方
皇居/宮城(東京府)
所在地 多摩陵 東京都八王子市長房町 武蔵陵墓地
最寄駅 JR・京王「高尾」下車、約2.5km、徒歩約40分。
「123代・大正天皇」は1912年、父帝「122代・明治天皇」の崩御に伴い即位した。「大日本帝国憲法」の下で初めての皇位を継承となった。
生誕時より病弱で幾度も大病を罹った「大正天皇」は、「学習院初等科」に途中入学をするが中等科1年で中途退学する。11歳で皇太子となり各道府県を巡啓(沖縄県を除く)、1907年に皇太子で初めて「大韓帝国」に海外渡航、訪問した。
1900年には旧摂関家「九条節子(貞明皇后)」とご成婚、昭和天皇をはじめ4人の皇子(皇男子)をもうけられた。ただ、即位式の翌年から体調が悪化しはじめ、公務や日常生活にも支障をきたした。1920年(大正9年)頃に、天皇の病状が公表され1921年(大正10年)、皇太子「裕仁親王」が摂政に就任、「大正天皇」は療養生活に入った。その後、体調は回復せず1926年、46歳にて崩御。
その御陵は東京府南多摩郡横山村(現在の東京都八王子市長房町)の御料地に築かれ葬られた。大喪の儀が行われた「新宿御苑・葬場殿」には約260万人、「多摩陵」には約90万人もの参拝者が訪れたとされている。
余談として「大正天皇」の病状の原因は、当時の鉛成分を原材料として生産されていた化粧品「白粉」による「鉛中毒症」と言われている。その「白粉」を使用している乳母などから、乳幼児が乳を摂取することで中毒になり脳膜炎を引き起こすことがあると考えられている。
JR「たかお」に到着、京王線と駅が並んでいて少しややこしかった(苦笑い)。お上りさんには「あずま・京」の鉄道は本当に難しい・・・。
上・「昭和の散歩みち」の表示板、これは遠回りになる! 還暦越えは最短コースで行く。
下・「昭和の散歩みち」のコースにある甲州街道「なみき参道」。えっ! 遠回りなのに「参道」!?
仕方なく遠回りの「多摩御陵参道」を歩くことにした。参道は緑の並木に溢れ心地良い道だ、これなら遠回りも悪くない。
陵墓敷地内に入り、しばらく歩くと表示板が現れた。右は「貞明皇后陵」、まずは「大正天皇陵」に参拝する。
鳥居をくぐり石段を登れば拝所に到着。広々とした空間で緑が美しく清涼な風が心地良い陵墓です。
近づける所まで近づいた、これは不敬ではないだろう?(笑)。
再度、引き画で皇后陵へ向かうことにした。
多摩東陵(貞明皇后陵)
大正天皇陵のすぐ隣でお眠りになる貞明皇后陛下、生前は仲睦まじい両陛下だったのだろう。