還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
淡路島「 天王の森」にある「早良親王の墓跡」は寂しさのヴェールに包まれている

尊 号 崇 道(すどう)天 皇
御名/早良親王
生没年/西暦750年(天平勝宝2年)~785年(延暦4年)
時代/奈良時代
続柄/光仁天皇(父)、桓武天皇(兄)
陵名/八島陵
陵形/円墳
所在地 八島陵 奈良県奈良市八島町
最寄駅 JR桜井線「帯解」下車、約1,7km、徒歩約25分。
785年、高瀬橋頭(現・大阪府守口市の高瀬神社付近)で憤死した「早良親王」の亡骸は、淡路島へ移送され葬られた。だが、その場所は現在も明らかとなっていない。
守戸(しゅこ・天皇陵の守護・清掃に従事した御陵番のこと)を置いたのが「津名郡(現・淡路市の全域と洲本市の一部)、そのことから同郡内であるとみられている。伝承地として「 天王の森(淡路市仁井)」「高島の森(淡路市下河合)」の2箇所がある。
「早良親王」の埋葬後の788年から都では、流行病や飢饉などが相次ぐ上に「桓武天皇妃・藤原旅子」「皇后・藤原乙牟漏」「坂上又子」、桓武天皇・早良親王の生母「高野新笠」が次々と病死する。それらは、神祇官の卜占により「早良親王」の祟りであるとされた。その後、祟りを鎮めるため追尊され、都のある奈良にて御陵を造り御霊を慰めた。


神戸淡路鳴門自動車道・東浦料金所を出て、約15分ほど走ると「早良親王の墓跡」のある「 天王の森」に着いた。高速道路の近くに「早良親王の墓跡」の案内表示があった。参道と言うより農道の様な道を20mほど歩けば墓跡に着いた。
天気も良くないので、あまり気持ちの良い場所ではない・・・。


鳥居を抜け石段を上れば御堂が立っていた、近づいてみると御堂は荒れ放題・・・(冷汗)。不敬だがあまりの不気味さに寒気がした、史跡より心霊スポットの様だった。
もう一つの早良親王を祀る場所へ、霊安寺「常隆寺」


「常隆寺」は常隆寺山の最高峰「伊勢の森」頂上近くにあり、北淡路随一の名刹と言われている。「桓武天皇」が弟「早良親王」の怨霊を慰めるために、勅願寺とした上に「七堂伽藍」を建立したそうだ。

本堂の裏に石階段を見つけた、「奥の院」と書かれている。「早良親王」の御霊に祈りを捧げるため行ってみた。約300mほど歩いた、上りもあるが歩きやすい参道だ。

頂上と思われる尾根を歩いていると「奥の院」が現れた。景色もよく、先ほどの「 天王の森」とは違い、心静かに参拝ができる(喜)。

「伊勢の森」の頂上から眺める絶景を最後に、この旅を終えた。