還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二

御 名 某 王(もといおう)
生没年 神亀四年~ 神亀五年
時 代 奈良時代
続 柄 四五代・聖武天皇(父)
墓 名 那富山墓
墓 形 方墳
所在地 奈良県奈良市法蓮町字大黒ケ芝
最寄駅 近鉄・JR「奈良」より奈良交通バスに乗車「法蓮佐保山三丁目」下車、約三〇〇m、徒歩約四分。
満一歳を迎えず立太子し薨御した皇子
「某王」は「四五代・聖武天皇」の第一皇子として七二七年(神亀四年)に生まれ翌年に薨御した廃太子。
生後まもなく一ヶ月ほどで立太子、当時では異例のことであった(天皇また皇太子は成人であることが求められていた)。このことは、異を唱えられる力のある皇族(皇位継承できる)がいなかったことが理由とされている。また一方で「聖武天皇」の外戚が「藤原氏」であったことで、天皇としての正統性が弱いことを不安に思い盤石化を図るため異例の立太子とも言われている。翌年、皇子の薨御に心を痛める「聖武天皇」は、皇子の死の原因が「長屋王」の呪詛であると思い込み、後の「長屋王の変」へと向かうことになる。
その陵墓は、奈良県奈良市法蓮町字大黒ケ芝に所在する「那富山墓」に治定され、墓形は方墳とされている。現在は柵により拝所に近づくことができない。








