五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
後田邑陵(光孝天皇陵)
五八代/光孝(こうこう)天皇陵
諱/時康 ときやす
在位年/西暦八八四~八八七
陵形/円丘
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮
所在地 後田邑陵 京都府京都市右京区宇多野馬場町
最寄駅 京福電鉄「宇多野」から、約160m・徒歩約3分。
55歳で即位した「光孝天皇」、幼い頃より素行が良く、聡明で温和であったため人々から信頼されていた。渤海の使者が一目見て、「必ず天位につかれる」と予言したほどの人格者とも言われていて、宮中行事の再興に務めるとともに諸芸に優れた文化人でもあったとされる。在位期間は短く、わずか3年余りで病のため58歳で崩御された。
御陵は明治期になり現陵の場所に定められた、明治まで所在はまったくの不明となっていた。仁和寺の西南にあたる現在の場所は文献記録とも矛盾するとも言われている。
後田邑陵
福王子神社