ソノひびヨリ 第七話 『岐阜県・下呂温泉にシャボン玉が飛んだ』〈後編〉

飛騨川

「飛騨川」の河川敷から
 

 翌朝は、すばらしい日和の上、すばらしく正しい日本の朝食を頂き、ご機嫌で下呂の町散策スタート。宿(山の中腹だからだ)から坂を下り、飛驒川を目指して行くことにした、途中にメイン通りと思われる商店街に出くわした。なんと、通りには置屋がある! 夜な夜な町のお座敷を、温泉芸者さんが賑わしているのか。「えっ!」芸妓と書いてある! 色気ではなく芸を見せているのだな、中々健全でよろしい。などとほざいている間に、飛驒川河川敷に着いた。
 

湯の花芸妓連

湯の街通りにある「湯の花芸妓連」
 

 河川敷では何やら黒Tシャツを着た、若者達がステージのようなモノを組み立てている。何をしているのかと、スタッフらしき人に聞いたら、「今晩ここで、毎年恒例の花火ミュージカルがあります」と丁寧に教えてくれた。これは、ラッキーだ! 今晩は缶ビール片手に花火見物とでも洒落込むぞ(中年男一人で寂しいが)。そのまま川面添に歩いていると、川漁師が鮎釣りをしている。清流の音と緑の中で、黙々と竿を振るその姿にしばし見とれていた。でも頭に浮かぶことは、美しさと相対して「今夜のおかずは鮎の塩焼きがいいぞ!」と、花より団子・・・。
 

飛騨川 鮎釣り

飛騨川で鮎釣りをする川漁師さん
 

カワムツ

透明度が高い飛騨川。岸の直ぐ近で「カワムツ」が泳いでいる。

 次に向かったのは「湯のまち雨情公園」、『雨情』といえば、あの童謡作詞家の野口雨情と関係があるのか? まぁ、とにかく行ってみることにする。そこは温泉街からも程近く、阿多野谷の上流に広がる公園。公園の中央に流れる清流は、下呂の山ふところから流れ出ている。この名称は昭和のはじめ、野口雨情が下呂の地に来遊した際に作った『下呂小唄』にちなんで名付けられた公園だそうだ。
 

湯のまち雨情公園
野口雨
湯のまち雨情公園

「湯のまち雨情公園」を流れる清流、子供たちが水遊びが微笑ましい。それを見守るように「野口雨情」の彫像が建つ。
 

 彼の作った童謡「シャボン玉」にはちょっとした思いがある、この地とは関係がない話しだが。テレビ草創期から数多くのテレビCMを製作し、国内外の賞を数多く受賞した、天才ディレクター・杉山登志だ。彼はキャリアの絶頂にあった昭和四八年に、誰にも告げず、遺書も残さず自らの命を絶った。唯一残されていたのは、自死する数時間前に録音されていたカセットテープの肉声。
 
 それは彼が訥々と歌う「シャボン玉」だった。彼が歌う歌詞を聴いていると、いつの間にか涙が流れていたことを覚えている。失礼だが、同じ「ものを造る」者として、何かを生み出すためには、孤独と対峙しなければならい。それに打ち勝ち、「日々の告白の様なもの」を作品に作り変える、その作業を繰り返す。それが、創作であり創造だと思っている。ただ一つ、もの作りで破ってはいけない掟があるなら、それは見る人達を絶対に悲しませてはいけないということだろう。
 
 オレは雨情の胸像を前にして、一度、初心に戻り心に誓う。一人の人でもよい、自分が作ったもので笑顔になればと。まだまだ、屋根は越えていない、もし越えたとしても、壊れずに飛ぶぞ!
「かぜかぜ ふくな シャボン玉 とばそう」とバカなりに考える旅だった。

 もちろん、何よりの願いはコロナ禍の中、水害から復興を切に願っている。そして、この夏にはワクチン接種した観光客で賑やかな花火大会を開催して欲しい。
 

花火ミュージカル

河川敷で始まった「花火ミュージカル」。あまりの人の多さで道から眺めた。
  
 

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