五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
百舌鳥耳原南陵(履中天皇陵)
写真はJR「上野芝」からすぐの遊歩道、御陵の横には民家が建ち並んでいる。
一七代/履中(りちゅう)天皇陵
和風諡号/去来穂別天皇 いざほわけすめらみこと
在位年/西暦四〇〇~四〇五
陵形/前方後円
皇居/磐余稚桜宮跡(奈良県)
所在地 百舌鳥耳原南陵 大阪府堺市西区石津ヶ丘
最寄駅 JR阪和線「上野芝」から徒歩約五分
仁徳天皇陵から大仙公園を挟んで南側にある「百舌鳥耳原南陵」。百舌鳥古墳群では仁徳天皇陵に次ぐ巨大前方後円墳だ。
墳丘の全長約三六五m、後円部径二〇五m、高さ約二八m、前方部幅約二三五m、高さ約二五mの規模の日本で三番目に大きい。
「仁徳・履中・反正」三陵散策と堺観光で1日あれば楽しめる、交通のアクセスが非常にいいところだ。
磐余稚桜宮跡 稚桜神社
一八代/反正(はんぜい)天皇陵
和風諡号/多遅比瑞歯別天皇 たじひのみずはわけのすめらみこと
在位年/西暦四〇六~四一〇
陵形/前方後円
皇居/丹比柴籬宮跡(大阪府)
所在地 百舌鳥耳原北陵 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁
最寄駅 南海高野線「堺東」から徒歩約五分
百舌鳥古墳群の北端にある「百舌鳥耳原北陵」、大きさは仁徳天皇陵古墳の1/3ほどらしい。
南海高野線・堺東駅の東側から降りるとすぐだ。御陵の廻りは寸部の隙もなく民家と道路が取り囲んでいる。
北側には河内、和泉、摂津の三国の境にあり、方位のない清地とされた「方違神社」がある。
百舌鳥耳原北陵(反正天皇陵)
南海高野線・堺東駅から徒歩五分で着ける拝所。
方違神社の境内から見た「百舌鳥耳原北陵」。
丹比柴籬宮跡
大阪府松原市に伝えられている、大和王権で河内におかれた最初の都「丹比柴籬宮」。
最寄り駅の近鉄南大阪線「河内松原」より徒歩約一〇分、中高野街道を経由がおススメだ。