五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
大原野西嶺上陵(淳和天皇陵)
五三代/淳和(じゅんな)天皇陵
和風諡号/日本根子天高譲弥遠尊 やまとねこあめたかゆずるいやとおのみこと
在位年/西暦八二三~八三三
陵形/円丘
皇居/平安京(京都市上京区)※五〇〜八〇代まで同宮
所在地 大原野西嶺上陵 京都市西京区大原野南春日町
最寄駅 阪急京都線「東向日」から、阪急バス「南春日町」下車(乗車時間・約17分)から、約7キロ・徒歩約65分。
52代嵯峨天皇から譲位され、第53代天皇となった淳和天皇。優れた人材を積極的に登用して、政の改革や皇室の財政強化に力を注ぎ、『日本後紀』の編纂もこの御世から行われた。833年には正良親王(仁明天皇)に天皇の位を譲り太上天皇となる、退位後は皇太后と「淳和院」で暮らし、7年後に崩御した。
淳和上皇の意向により火葬され、その遺骨は、近臣の手によって現在の小塩山山頂付近で、散骨されたと言われている。尚、御陵を築く事を禁じられていたため「延喜諸陵式」に陵墓が記されず、山頂付近に長らく小石で築かれた円塚があっただけだった。その後、幕末の陵墓修復で小塩山山頂付近に大原野西嶺上陵が築かれた。
西院・春日神社