還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
鎌倉時代 八二代〜九五代天皇陵
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二
深草北陵(後伏見天皇陵)
九三代/後伏見(ごふしみ)天皇陵
諱/胤仁 たねひと
在位年/西暦一二九八~一三〇一年
陵形/方形堂
皇居/平安京
所在地 深草北陵 京都府京都市伏見区深草坊町
最寄駅 JR奈良線「稲荷」下車、約1300m、徒歩約18分。
93代・後伏見天皇は、父92代・伏見天皇皇后「中宮西園寺鏱子」の養子となる。わずか2歳で立太子、父・伏見天皇の譲位により、11歳で即位。当然のことながら伏見上皇が院政を敷いた。だが、2代続けて「持明院統(北朝)」が天皇となったため、「大覚寺統(南朝)」は不満を幕府に訴えた。そのため、14歳で「大覚寺統(南朝)」の後二条天皇に譲位した。
御陵は「持明院統(北朝)」の歴代が葬られている「深草十二帝陵」とも称されている「深草北陵」。
伏見殿跡周辺
<大光明寺 相国寺 伏見宮墓地 妙音弁財天>
やはり、後伏見上皇といえば「西園寺寧子(広義門院)」だろう。上皇亡き後、北朝を継続させるため皇室でもないのに、事実上「治天の君」となった日本史上唯一の女傑を祀る弁天さま(また、不敬を言ってしまった・・・)。
ここも相国寺の塔頭・大光明寺の飛地、どれほど広いんだ・・・。
伏見殿跡周辺
大光明寺 相国寺 伏見宮墓地 妙音弁財天