第八三回 九八代 長慶天皇陵

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
南北朝時代 九六〜一〇一代天皇陵

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二
 
 

嵯峨東陵(長慶天皇陵)

長慶天皇陵

九八代/長慶(ちょうけい)天皇陵
諱/寛成 ゆたなり/ひろなり 
在位年/西暦一三六八~一三八三年
陵形/円丘 
皇居(行宮)/住吉行宮 吉野行宮 天野行宮 栄山寺行宮 

所在地 嵯峨東陵 京都府京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町
最寄駅 阪急嵐山線「嵐山」下車 、約1200m、徒歩約15分。

 「98代・長慶天皇」は吉野で誕生したが、足利幕府との戦が激しく、父の「97代・後村上天皇」と賀名生行宮(奈良県五條市)に移った。その後も、戦乱とともに行宮も各地に転々と移された。

その中、「97代・後村上天皇」崩御(1368年)の後を継ぎ即位した、南朝3代目の天皇になる。当時の南朝財政が逼迫しており、「即位の儀礼 」も行われた形跡(文献が残っていない)がないと言われている。

 およそ16年間在位したとされるが、南北朝の戦乱の中で譲位後に各地の南朝方の武将を訪ね、南朝への協力を求めたと言われている。そのため陵墓伝説も全国各地に多くあり、その数は20ヶ所に及ぶとも言われている謎多き天皇。「嵯峨東陵」も昭和19年に、京都嵯峨の「慶寿院跡」を「長慶天皇陵」と選定された。
 
 

長慶天皇陵
周囲を住宅に囲まれた参道入口。ここから約100mほど歩けば、いつもの宮内庁の表示板だ。
長慶天皇陵
美しく整備されている御陵だ、昭和初期に選定されただけある。廻りの住宅の屋根も見えない、高さ規定があるのだろうか。
長慶天皇陵
寄りで一枚、やはり新さを感じる。ここは後にして陵墓伝説のある「東北」へ向かうことにしよう。

 
 

岩手県二戸市天台寺 長慶天皇御陵参考地
長慶天皇御陵

はるばる来ました、岩手県二戸市へ(笑)。
東北新幹線・二戸駅より長慶天皇御陵参考地のある「天台寺」までは、車で約18分。
駐車場から少し歩くと「天台寺」の鳥居だ、くぐると手水鉢がある。その横には大きな木の下から湧く泉がある、「桂清水」と言うらしいが「桂」じゃなさそうだ・・・。

長慶天皇御陵

「天台寺」は西暦728年に開山された古刹中の古刹だ、山寺の頂上付近に御陵参考地がある。
またまた、登山だ・・・、約18分も登ったら表示があった。まだ、昇りが続いた(苦笑)。

長慶天皇御陵

やっと着いた、還暦越えには骨が折れる。御陵参考地は斜面に張り付くようにあり、廻りにはかわいい紫陽花が咲いていた。さぁ、次は青森に向かうことにする。

青森県弘前市上皇宮 長慶天皇御陵参考地
長慶天皇御

ねぶたで有名な弘前にやってきた。参考地のある「上皇宮」までは、JR奧羽本線「弘前」から車で約25分のドライブ。市内を抜け岩木川沿いに走り、紙漉沢山越地区に入るとリンゴ畑がある牧歌的な風景がひろがった。

リンゴ畑の奥に鳥居が見えた「上皇宮」だ、駐車場がないので「長慶天皇御辞世の碑」横にある公民館に声をかけ駐車させていただいた。

長慶天皇御

鳥居の奥に「上皇宮」の拝殿が見えた「これは近い!」と思い、紫陽花を愛でて参道を昇る(笑)。

長慶天皇御

拝殿には国旗と菊の御紋の幕が! 拝殿内部には長慶天皇の御影が飾られている。

長慶天皇御

甘かった〜!(苦笑)、参考地まで直ぐだと思ったが・・・約150mほどの登山があった。
光が届く頂上付近に参考地があった、汗が噴き出す・・・。

長慶天皇御

岩木山を眺め帰路につこう。残念なのは山頂が雲に隠れている、雨男なので仕方がないか。

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