ソノひびヨリ
2025年 11月3日

堺が産んだ偉大な文化人の生家跡を訪ねる
「土佐十一烈士墓」を後にして、環濠の東端、現在は埋め立てられていて「土井川公園」を少し通って再び「紀州街道(大道筋)」に戻り、次の目的地に向かいます。その途中、「大阪府立泉陽高校」前を通り過ぎました、ここは「与謝野晶子」の母校でもあり、おじさまに大人気(笑)!? 東宝俳優の「沢口靖子」さんの母校でもありますよ(余談ですけど)。

下・「大阪府立泉陽高校」の西側の筋から、先ほど参拝した「本願寺堺別院」が見えました。
軽快に自転車で「紀州街道(大道筋)」、阪堺電軌・阪堺線「花田口」に到着。電停の西側に通称「ザビエル公園」という公園があります、そんなに大きな公園ではなかったので入ってみることにしました。通称「ザビエル公園」ということなので、朝に観光案内所に居た「ザビエル」さんと関係がありそうだと調べてみました。すると、この公園の正式名は「戎公園」だそうで、豪商「日比屋了慶」の屋敷跡に戦後できたようです。この「日比屋了慶」という人がイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが堺にきた時(1550年)、自宅に滞在させ手厚くもてなした様ですね。そして、ここにも「堺鐡砲之碑」がありました、「堺火縄銃保存会」が建立した石碑と書かれていました。どんな活動をして保存しているのだろうか?


通称「ザビエル公園」を抜け「紀州街道(大道筋)」を西へと約550m進むと「堺観光コンベンション協会」オフィス前の「与謝野晶子生家跡」に着きました。ここの歌碑は、あの有名なふるさとを想い詠んだ「海こひし 潮の遠鳴り かぞへつつ 少女となりし 父母の家」でした。この歌も簡単に訳すと「堺の海が恋しい。遠くから聞こえてくる、波の音を数えて育ち、少女へと成長していった、懐かしい父母の家。」そのまんまですね(笑)。


東西に走る大通り「宿院通り(フェニックス通り)」と進んできた「紀州街道(大道筋)」の交差点を西に渡れば、ガラス張りの近代的な建築物「さかい利晶の杜」が見えます。その東向かいに「天下一の茶の湯者」と称され堺で生まれ「わび茶」の始祖「千利休」の生家跡があります。この「千利休屋敷跡」は、現在「裏千家」の所有地で当時の敷地の一部分だそうです。そうでしょうね、堺の豪商「とと屋」の屋敷跡なのに、見たとき「せまっ!」て思っていたので(笑)。
敷地内には、石碑と椿の炭を底に沈めていたと伝わる「椿の井戸」が残ってます。その「椿の井戸」を覆う「井戸屋形」の木材は、秀吉の怒りにふれ切腹(自刃)となった原因の「大徳寺」の古材が使用されているのです。
その切腹の原因になった「大徳寺」事件を簡単に説明すると、「大徳寺」山門修復の寄進した利休、そのお礼に「大徳寺」側が独断で山門の二階に「雪駄を履いた利休木像(等身大)」を置いた。その事が秀吉の怒りにふれ切腹になったのです。まぁ、この頃は天下統一もなしえた秀吉、利休が邪魔だったんでしょうね、難癖をつけ亡き者にしたかったのでしょうか。今となれば知る由もないですね。
追記としてこの「千利休屋敷跡」には常駐のボランティアガイドさんがおられます、とても親切で丁寧にいろいろと話してくれます。ありがとうございました!
まだまだ、堺の旅は続きます! 次に向かうは環濠の南エリアですが、そろそろお昼、お腹が空いてきました。南エリアに向かう前に堺名物をいただきましょう、これも旅の楽しみです!



無料で入れるので休憩に最適ですね。
世にも奇妙な「堺名物そば」と、ここでしか味わえない「銘菓」をいただく
「千利休屋敷跡」から1分もかからず、堺で有名な超老舗蕎麦屋さん「ちく満(ちくま)」さんに到着です。「ちく満(ちくま)」さんの歴史は古く創業が1698年(元禄八年)で「徳川八代将軍・吉宗公」時代で、ちょっと珍しいお蕎麦が食べられるのです。
メニューは「せいろ蕎麦」のみで、「一斤(きん)」または「一斤半」どちらかです、この「斤」て馴染みがなく分かりにくいですが、単純に言えば一人前か大盛りかと言うことです。その「せいろ蕎麦」とは、熱盛のお蕎麦で一度ゆでたものを再度、熱を通すため蒸しあげているものなのです。
私は「一斤半」に挑戦です! 待つこと5分、運ばれてきたのは「白木のせいろ」と「お椀」、徳利に入った「つけ汁」、薬味に「青ネギと山葵」それに「生卵」?。普通のイメージなら卵は「うずら」なのだけれども、ここは普通(鶏)の卵だったのです。このお店を知っている人から「従来の蕎麦の概念が吹き飛ばされる」と聞かされていました、普通の卵を使うことだけでも驚いています(笑)。では、その「せいろ蕎麦」を実食です。

卵を溶いて熱々のつけ汁を注ぎ薬味を投入! そして白木の蓋を開けるれば、もうもうと立ち上がる湯気がいかにも熱そうです~。まず、蕎麦のみで味わいは「あら不思議?」、蕎麦の風味があまりしないのです・・・。そして、食感は二度の熱を通しているので腰もなく、「ふわふわ」した「蕎麦がき」のような感じです。つけ汁は関西風かと思いきや、意外にも醤油がきいた田舎風なのです、卵を混ぜて食べる前提だからでしょうか。
では、つけ汁生卵を絡めて食べると! 驚き仰天!! 美味いんです~。卵が絡まったお蕎麦を「ずるりっ」とすすれば、口内に旨味が広がりすぐさま溶けてなくなるのです。なるほど、私の知っている蕎麦とは全く違うのですが、なんだか懐かしく心がほっこりするお蕎麦です。あっという間に蕎麦を食べ終えれば、すかさず定員さんが「かまくら」と呼ばれる「蕎麦湯」が入っている「湯桶」を出してくれます。この「蕎麦湯」を残りのつけ汁を割っていただき完食。
「一斤半」だと多いかと思いっていたけど、軽くペロリと食べられます、腹八分目で丁度良く、この後のデザートも美味しくいただけそうですね~(笑)。

下・見るからに柔らかそうなお蕎麦です、実際もそうですけど。

「ちく満」さんを出て「紀州街道(大道筋)」の一筋東側を南に600m、有名婦人雑誌に掲載された人気の和菓子・甘味処「かん袋」さんに向かいます。今から向かう「かん袋」さんは、生菓子なので日持ちがしないのです、すなわち「ここで」しか食べることもお土産に買うこともできない堺名物の和菓子なのです。
この「かん袋」さんの歴史も古く鎌倉時代末期(1329年)で、初代・和泉屋徳左衛門さんが「和泉屋」という屋号で堺にお店を開いたのが始まりです。その後、安土桃山時代「豊臣秀吉」が大阪城を築城していたとき、当時の店主が瓦を天守閣に投げ(どれだけ超人なんですか!笑)工事を手伝ったんです。それを見ていた「豊臣秀吉」が『かん袋が散る様に似ている』と言い『かん袋と名付けよ』と命じたそうです、それより「和泉屋」から「かん袋」に変更したのです。なんだか凄い逸話です。

下・お店に入ると奥のカウンターで注文、会計を先に済ませば番号の入った木札を渡してくれます。席に座っていれば持ってきてくれます。
店内は40席弱ぐらいの広さで、お茶は自分で汲みに行くセルフサービスです。あったかいお茶をいただいていると、念願の「くるみ餅」がこちらへやってきました~。見た目はウグイス色の餡しか見えませんが、ほじくり返すと白玉のようなお餅が現れました。これが「くるみ餅」と言う名の由来なんですね、餡で餅を包んでいる!!
その餡の味は、東北地方のずんだ餅にも似ているけれど、もっと滑らかで上品な感じ(ずんだ餅、ごめん)です。お餅も柔らかく5個ほど入っていて、食後のデザートには程よい分量で、正直、めっちゃ美味しいです!
この「くるみ餅」ができた頃は、塩を使いしょっぱい茶菓子だったみたいで、中世の南蛮貿易で「ルソン(現在・フィリピン)」から砂糖が輸入されたことで甘味を加え現在の「くるみ餅」になったそうです。しょっぱい和菓子って想像がつかないですね・・・。
堺に来たらここ「かん袋」さんは必修です! 是非、「くるみ餅」をご賞味ください。

環濠南側エリアに堺の豪商と戦国武将の墓がある古刹へ
店を出て南に進めば児童公園があり、そこを東に左折して約150m進むと謎多き古刹の総門に到着。ここは環濠の南端にある「臨済宗大徳寺派」のお寺「龍興山 南宗寺」です。このお寺の開山は1557年(弘治三年)、戦国武将「三好長慶」が実父を弔うために建てたお寺で、三好家一族の菩提寺だそうです。敷地内には、地味な感じの(笑)国の重要文化財「仏殿、唐門、甘露門」もあります。本当に地味なんですよここの重文たちは、「甘露門」の柵に手書きの看板があるだけ(重文てことを見落としてしまいます)、「唐門」なんて何も説明板がなく近づけばセコム?のブザーが鳴るだけなのです・・・。


拝観料(大人400円)を払えば境内を見学できます、そこには「千利休」の師匠にあたる「武野紹鷗」のお墓、弟子の「千利休」のお墓? があります。でも、確か千家一門のお墓は京都にある「大徳寺・聚光院」じゃなかったかな・・・。
そして一番の謎が「徳川家康」のお墓がある!? そんなわけない「家康」のお墓は「日光東照宮」だよね。気になり調べると伝承として「大阪夏の陣」で豊臣方の「後藤又兵衛」に討ち取られ、ここ「南宗寺」に祀られたと書かれている。なんだか都市伝説のような話だと思いました。ただ、そのお墓は立派で、国の重要文化財「唐門」の奥にあることを考えれば意外と本物だったりして(笑)、そんな訳ないか。
このお墓は拝観料を払わなくても「唐門」の隙間から拝むことができます、警告音のブザー音に驚かないよう注意です。

左・警告ブザーを気にもせず、「唐門」の隙間から撮影した「徳川家康の墓」
都市伝説系の「南宗寺」を出て、東隣の区画にある「大安寺」の山門前にて撮影。ここには基本、非公開となっていて、前は春と秋に特別公開されていたと思います。来られる方は事前に調べてから来た方が良いですね。
何が公開されていたかといえば、ここにも国の重要文化財があって、17世紀前半の狩野派の作といわれる「障壁画」と総檜造の「本堂」が指定を受けています。その「本堂」は、ドラマ「黄金の日日(松本幸四郎主演)」の主人公だった堺の豪商「納屋助左衛門(ルソン助左衛門)」の居宅を1683年(天和三年)移設したものとの伝えられています。外から、どれが「本堂」か良く分かりません、残念です。
ドラマ「黄金の日日」の最終回は確か、秀吉に罪を問われた助左衛門が堺港から南蛮船に乗りルソンへ旅立つシーンだった。では、私も環濠エリアから飛び出し世界遺産へ向かうことにします! まだまだ堺の旅は続きます~。
(その4 世界遺産から堺旧港へ続く)




