第一四二回 飯豊青皇女 飯豊天皇陵(埴口丘陵) <前編>
天皇陵・外伝編-05

還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅

五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。

写真取材 赤木 賢二

飯豊青皇女 飯豊天皇陵(埴口丘陵)

御 名 飯 豊 青 皇 女(いいとよあおのひめみこ)
生没年 生年不詳~ 清寧天皇五年
時 代 古墳時代
続 柄 一七代・履中天皇(祖父) または 市辺押磐皇子(父)
墓 名 埴口丘陵
陵 形 前方後円墳

所在地 奈良県葛城市北花内 
最寄駅 近鉄御所線「近鉄新庄」下車、約六〇〇m、徒歩八分。

墳丘長が約90mの大きさ、やはりここは「幻の女帝」の御陵。

 飯豊青皇女・飯豊天皇は、記紀によると五世紀末の皇族で「履中天皇」の皇女、孫とも、また「市辺押磐皇子」の王女とも言われている。

 四八四年(清寧五年)、「二二代・清寧天皇」の崩御を受け一時政務を執ったとされている。記紀では天皇として認めていないが、後の史書『扶桑略記』や『本朝皇胤紹運録』では「飯豊天皇」と記されている。また明治から昭和二〇年(終戦)まで「歴代天皇の代数には含めないが、天皇の尊号を贈り奉る」とされていて、現在でも「履中天皇々孫女 飯豊天皇」と宮内庁により称している。即ち不即位天皇として扱われている。

 その御陵は奈良県葛城市北花内の「北花内大塚古墳(きたはなうちおおつかこふん)」が「飯豊天皇陵」とされている、全長約九〇m、後円部径約五〇m、前方部幅約七〇mの前方後円墳。

上・近鉄御所線「近鉄新庄」からほぼ線路に沿って南に歩けば到着する。

下・いつもの宮内庁の立札ですな。

参道の横には低い垣根があり、隣の民家の庭らしきものが見える。洗濯物が干していた・・・。

参道を約五〇mほど歩けば拝所に到着。この大きさは間違いなく天皇の墓だと我輩は確信した(笑)! という事は「飯豊天皇」が女性初の天皇だったんだ。

お堀も立派だ、片側面と後円の横には住宅地が広がり、もう片側面と前方には田畠が広がっている。

その田畠から引絵で一枚。少し歪に見える前方部分だ。

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