還暦前、写真家の「写して候・寄って候」
天皇御陵踏破の旅
五十路もなかばの頃、ふと考えた。
日本国とは何なのか、日本人とは何なのか。
その答えを探す為に、2600年を遡る時空の旅へ出た。
イデオロギーなど関係無い、
ただ、今そこに残る時間の集積を写してみたい。
写真取材 赤木 賢二

慶頼王夭逝の後、権力は藤原北家・時平流から藤原北家・忠平流(九条流)へと移り変わっていく


「慶頼王墓」より徒歩約一分に「六二代・村上天皇」の「皇后・安子火葬塚」がある。「慶頼王」とは直接関係(血縁者でもない)を持たないが、夭逝後の皇統を大きく変えた皇后である。夭逝後、「藤原時平」から弟の「藤原忠平」へと藤原北家の権力構造は移り変わる。その「藤原忠平」の息子「藤原師輔(北家九条流の祖)」により天皇の外戚として大いに栄え、摂関政治全盛期へつながる。
「藤原師輔」は、娘の「安子」を「六二代・村上天皇」の皇后とした。「村上天皇」から寵愛を受けた「皇后・安子」は、三人の皇子をなした。その皇子から「六三代・冷泉天皇」「六四代・円融天皇」と二人の天皇が即位し、師輔(九条流)は「天皇の外戚」としての地位を不動のものにした。






